ミャンマー旅行記(2000年)

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2月21日(月) 

ヤンゴン自由観光

この日の昼間は一日ヤンゴン市内を自由行動(詳しくはこちら*E)。

  6:30 SwelでMBC(皆カレン族)の人たちと中華兼シャン料理で夕食会。元MBC会長のSaw氏とシェ氏がアジア学院卒業生。

今回同行したアジア学院の先生は、国連のカンボジア難民救援活動でタイに長期滞在したり、アジアのクリスチャンとの交流も長く、Saw氏とも以前からWCC(世界キリスト教連盟)を通じての知り合いだった。優秀で嫌みのない人物でいい友人だと話していた。

現在のMBCの会長も来ていた。

 夕食では、隣に座った若い女性職員と話す。ヂャムー氏のスタッフで、もう一人夕食会に来ている女性とともに、Tear FundというNGOで働いている。

Tear Fundは農業や家畜について村をサポートするNGOで、彼女はヤンゴン周辺や他州に赴いて、対象となる村のデータを集めて給付金を決める仕事をしている。村からレポートを提出してもらい、どう助けられるか他のスタッフと相談して、技術指導は専門のワーカーが行う。このプロジェクトは2001年に終わる、と言っていた。

レポートの作成について尋ねると、カレン語のワープロがあると言っていた。

彼女自身は都会で育ったようで、カレン族の民話等はもうわからない、山へはまれに行くだけ、車で行くから大変、と言っていた。他の人が話した北部出身の若い子も、飛行機は高いからラショーまで車で帰る、だから大変、と言っていたそうだ。

カレン族は全部で約600万人いるという。

  8:20 MBC本部へ移動。ここで、Saw氏とシェ氏が活動報告を行う。

○Saw氏

 81年にアジア学院に来た。当時は鎖国状態で海外に出られる人は限られていた。

1981年2月に申請を出して、10月に来日できた。

71年に大学の農学部を卒業し、ミャンマー教会協議会で農業の専門として10年間働き、底辺の人々と学んだ。

アジア学院(ARI)のことはパンフレットで知り、実際来てみたら想像していたところとは違っていたが、ユニークで面白いところだった。

他国の研修コースにも参加したが、ARIでは豊かな経験ができた。何かを学ぶということは、何かを一緒にする、ということだから。

仲間や日本人スタッフとけんかもしたが、一緒になって一つの生活を築く経験をした。学んだことで一番大きなことは、共同体を作る、ということ。

また指導者の質についても学んだ。共に働き、共に築く指導者について。ARIのリーダーシップトレーニングは、組織の上に立つときに役立った。

高見先生は社会奉仕機関や組織を見に行くことをすすめてくれた。

ARIでは、皆食べ物に困っていた。日本食に慣れるのは大変だったが、刺身も食べた。

戦友会の人たちにもお世話になった。

 ARIから戻ったあとは、開発計画を立てて説いて回った。

ちょうど政府による宗教界の統合があり、仏教界が統合され、キリスト教も一つの組織の傘下に入ることになった。

このため、教会協議会の主事として全プロテスタント教会を統合することになり、農村開発の仕事からは離れた。

86年、ミャンマーバプテスト連盟に提案した、キリスト教の布教は教義だけでなく生活全体を含む包括的なものであるべきだ、という農村開発プロジェクトが通り、その主任となった。

また、アジアの教会連合体の農村開発の委員にもなり、若い人を農村開発のリーダーとして養成することになった。

その後、ミャンマーバプテスト連盟の総主事となり、二期勤め、1999年1月に辞めた。

 今では、ミャンマー教会協議会、YMCAやYWCAの顧問として奉仕している。

今は草の根の人々と共に生き働く活動はしていないが、ARIから戻ったあとヂャムーをフィリピンで研修させ、他にも訓練して育てた人が80〜90人になる。

MBCはクリスチャンだけでなく、すべての人のために奉仕するつもりだ。この社会が平和で安定することを願い、和解と正義をセットに考えている。

○シェ氏

 神学校を卒業後、農学校で1年学び、エディー・ルー氏と農村伝導をしていた。

84年、アジア学院に来る。プログラムや、朝夕のチョアのシステムに感銘を受け、いつかミャンマーにもARIを持ってきたい。

 帰国後はカレンバプテスト連盟(KBC)の職員となり、農村開発に携わる。農村開発は道路や橋造りではなく、人間開発だとわかった。

KBCは全国に70支部あり、交通費もかかり人を集めるのが難しい。そこで講師陣があちこち回ることを考え、1997年にドイツの援助を受けてジェルサレム村に農村開発センターを作った。

ここで年3、4回トレーニングプログラムを行っている。

ARIで学んだことは、学生、スタッフ、校長先生が皆共に働き、差がなかったこと。でもアフリカ人とやってゆくのは難しかった。

今この農村開発センターのプログラムを担当できたことに感謝している。運営費をひねりだすのは大変だが、養魚プロジェクトがその有望な資金源となるのではないかと思う。

 このあと、皆で千円分くらいづつ持ち寄ったおみやげを集めて組み直し、お世話になったMBCの人たちにくじ引きで渡す、おみやげ物大会があった。

風呂敷やミッキーマウスなどキャラクターもの文房具などに、MBCの若い女の子たちやおじさん達もおおはしゃぎしていた。

  9:30 ホテルに戻り、お世話になったフロントのお兄ちゃんたちの写真を撮る。

イエジン、バガンの旅行でも預けた荷物がどうこう、ということは一切なかったし、部屋も広く清潔で気持ちの良いホテルだった(勿論、安宿は安宿で面白いけれど)。

二人ともハンサム、いつも笑顔でさわやか。ビルマ人は、日本や中国などの東アジア系より顔立ちのレベルは上かも。町中でけっこう髪型が真ん中分けのジャニーズ風を見かけた。



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Last updated:07/02/03 .  First uploaded:01/12/03 .  ©1999-2010 XIER, a division of xial. All rights reserved.