ミャンマー旅行記(2000年)

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*E ヤンゴンの歩き方その3 − 電車、マイラーム寺院、チャッタウジーパゴダ、スーレーパゴダ、中華街



ヤンゴン繁華街の雑貨店のショーウィンドウで眠る猫

 某歩き方にもある謎の縦揺れを体験しよう、と鉄道に乗るため、最寄りのPanhlaing駅へ行く。

駅は四谷駅のように谷間になっていた。

結構人が待っており、9時37分頃、いつ電車が来るのかと近くの人に尋ねると、9時35分の電車があるという。

しかしなかなか来ないので、階段を登って通りに出ると切符売り場があった。[駅員さんの写真]

ヤンゴン中央駅までの切符を2チャット3人分買う。

何か外国人はどうこう言っていたが、向こうも英語がたどたどしく何のことかよくわからなかったし、またそれ以上強要もしてこない。

電車がいつ来るのか尋ねると、皆で時刻表を見て10時35分だという。あと30分ほどなので、また下に下りて待つ。

逆方向は2回来たが、こちらはなかなか来ず、9時35分が来るはずと言ったおじさんは、ついに歩いてどこかへ行ってしまった。

地図を見ているうちに、マイラームまで直行で行ってしまおう、ということになり、マンダレー行きが来ても困るのでもう一度上へ時刻を確認に行くと、タウンジー行きなので大丈夫だ、と確認してくれた後、実は、と皆で昔懐かしい藁半紙にガリ版刷りの書類を出してきて、こういうお達しがあって2月7日から外国人は一律1ドルか1FECになった、環状線内はどこまで乗っても1ドルだ、という。

今チャットしか持っていない、と嘘をついて出方を見ると、高いからバスにしなさい、という。

私はわかった、下の皆と相談する、と下に下りるとなんと電車が来てしまった。ちゃんと定時に来たのだ。

で、検札が来たら払えばいいやと、とりあえず乗ってしまう。

 中は結構込んでおり、鈍行のせいかスピードが出ず縦揺れもない。狭軌だから揺れる、という話だったが。

中で写真を撮ったり騒いでいると、目つきの鋭い色黒の車掌が来た。

検札かと思うと、付いてこい、とロープで仕切られた特別室に連れて行かれた。

車輌の先頭部分が小さく仕切られて一般乗客と分けられ、こちらは空いている。

カーキ色の制服姿の若い男が私たちから眼をそらさず、視線を感じ多少怖い雰囲気。ずっと監視付きかと思うとつまらなくなる。

ユーコさんたちと写真を撮っていると、カーキ色はすっと写るのを避けた。

他は駅長という温厚そうな男性、弁当を食べている兵士2名、なぜいるのかわからない普段着姿のおばさん数名。彼女らは兵士や車掌としゃべっている。

車掌とカーキ色は駅に着くたび窓の外を見回し、不審人物だか外国人だかを探している。

時によって、下りて違う車輌へ行き、車輌間の移動ができないつくりなので次の駅で戻ってくる。

どこへ行くのかと聞かれ、Tadalay駅だ、マイラーム寺院へ行く、というとそれなら一つ先のKyaukYaydwin駅だという。

車掌は駅に着くたびに今XX駅だ、と教えてくれる。

中央駅で駅長さんとおばさんたちが下り、別の若い人やおばさん、例の公安の服装(白シャツに緑のロンジー)のグラサン男が乗ってくる。

 日差しが強くなり東側の席に差し込むようになると、車掌らが西側に移してくれた。

鉄道の土盛りでできた両側の溝にはセリがよく栽培されている。

グラサン男がどこへ行くのか、と聞くので、マイラーム寺院というと、やはりTadalay駅でなくKyaukYaydwin駅だという。

でも地図で見るとTadalay駅のが近そうだよね、と私たち、カーキ色は終始無言でじっと見ている。

中国やインドでの経験から、こういう時はどんどん話しかけることにした。

そこで、マイラームから寝釈迦仏、スーレーパゴダと回りたいが、チャウッタージパゴダへのタクシー代はいくらか、等々話しかける。タクシー代は皆結構適当な数字を言う。

ホテルのお姉さんもスーレーから寝姿パゴダまで200〜250チャット、スーレーからマイラームまで250チャットというので、こんなに距離が違って同額? と聞くと、あれ? じゃ300か350チャットかな? と言う。このときも、車掌はマイラームから250くらいじゃないか、と言った。

まあ私も日本ではタクシーを使わないので相場がわからないから、そんなものだろう。

マイラームから寝姿なら、44番のエアコンバスがあるよ、と車掌。

  ついでにナカライメドー、て何だ、あちこちでよく見かけるけど、と聞くと、そうそう、ナカライメドー、と皆して頷く。

それは何?と聞くと、向こうも説明したいようなのだが単語が出てこず、結局God、Godでよくわからない。皆いくつかフレーズを知っているパターンの英語なので、会話が流暢に成立するところまではいかない。

ノートに書いてもらったビルマ文字を見せると、車掌は嬉しそうに、ナカライメドー、マイラームにあるよ、と言う。

マイラームは寺だと思っていたが、ナカライメドーも奉っているのだろうか?このあたりから、それまで静かだった皆が急に元気に喋りはじめ、マイラームならどこだ?やっぱりTadalay駅のが近いんじゃないのか?マイラームならTadalay駅だよ、とおばさんも交えて討論しだし(ビルマ語だが駅名が飛び交っていたので多分そんな内容)、カーキ色もいつのまにか皆としゃべって笑っている。

やはり警戒を解くにはこちらから話しかけるのが一番。

  そうこうするうちにTadalay駅に到着し、ここだよ、と皆が立ち上がる。

こっちだ、と一般客が下りるのと逆側を示されたので、ヤンゴン経験の長いAさんが、このあとどこかへ連れて行かれお金を請求されるのでは、と心配したが、一緒に下りてきたのは公安一人だった。

逆を示したのは、そちらがマイラーム寺院側だからだけで、どちらで降りてもよいようだ。マイラーム側もちらほらと、他の車輌の一般客が降りていた。

車掌はあの車通りをあっちへ歩けばじきマイラームがある、と言って手を振って別れた。

電車の窓からはカーキ色やおばさん達が笑顔で手を振り、写真を撮ってもOK、と逃げなかった。

結局検札はなく、2チャットでここまで来てしまった。本来なら、地元民値段でももう数チャットはするだろう。

この辺が、人がいいというか、詰めの甘さを感じた。

皆”いい人”だが、インドや中国の場合、ニコリともしない人は最後までニコリともしないので、これで二超大国間をうまく泳げるか、とひとごとながら一瞬気になった。*21

 駅を出ると(改札口はない)、前を公安が歩いている。
「あの緑のロンジーに注意ね」
とユーコさんに言うと、
「どの人?前の人?」
と全然違う人を言うので、
「でなくてその前の鮮やかな緑」
 一瞬店に入ったので、あれ? と思うが荷物を置いてまた出てきた。

そしてこちらを向いた。
やはり、と思うと
「これから案内しましょう」
と言って並んで歩き出した。

別にやましくはないのだが、監視付きは窮屈なので、金目当てのガイド志望とわざと誤解したふりをして
「Sorry、私たちあなたにお金払えない、そんなにお金持ってない」
と言うと、何か寂しそうな、ばつの悪そうな笑顔で離れていった。

このときはまだ警戒を解かず、車道を渡りマイラームに近づいた見晴らしのいいところで振り返ったが、いなかった。

あれ、本当に付いてくるのをやめたんだ、と意外な気がして、何となく後味の悪さが残った。

インドや中国だと相手も強く出るし主張がはっきりしていて元気なので、腹は立っても、強気に出たことで相手を傷つけてしまったかと気にすることはない。

ビルマは、チャンタービーチの宿の客探しの青年にしろ、こちらが迷惑そうにすると微妙に察知して引き下がるので、ひょっとして傷つけたかなと気になるときがある。

このあともバスに乗り降りしたのは私たちだけだったときもある等々で、よほど高度なテクニックでない限り、尾行はなかったと思う。

 ところで電車は11:50分頃Tadalay駅に着いた。

車掌は11:40分に着くと言っていたので、下りるときに腕時計を示すと笑っていた。

結局電車を待って乗って下りるまでに2時間以上かかったことになる。

 マイラーム寺院はなかなか面白い。

巨大な寝姿ブッダの他、さまざまな仏教説話が野外の巨大な人形、屋内の等身大の人形で示されている。

ユーコさんも、それらの場面がどの話の部分なのかよくわからない、と言っていたが、どれもユーモラスで見ていて楽しい。





 

ここは初めてというAさんも気に入り、ビルマに来た日本人を案内するのに、5ドルとられるシェーダゴンよりもここに連れてこようかな、と言う。

屋内で、蛇を飲むカエルの像が展示されており、何かこの寺院と関係していて、いわくありげ。

係りの人に話かけ、その人もしゃべりたそうなのだが英語ができず、結局謎のまま。

はじめは寝姿ブッダ周辺で終わりかと思ったが、回廊がどんどん奥へと続き、あちこちに建物があって、だんだん仏教と関係ないものも奉られてくる(写真下はポッパメドー)。

ポッパメドーを奉った建物もあり、人々が熱心に拝んでいた。

動物モチーフのはりぼても多い。

ユーコさんの話では、日本でも明治初期の神仏分離までは両方奉られていることが多く、分離のときに「うちは神社になります」「お寺を選びます」と決めたことも多かったという。

ここも仏教と地元の神様が混淆しているのかもしれない。

すべてのお堂に入っているとかなり時間をとられそうなので、適当に選んで入って行く。

 口を開けたワニの像があり、頭には柿に似た果実を載せている。

背中にはお堂があり、登って入ることができる。

中はミャンマーでよく見かける、全面細かいガラス張りの青っぽくキラキラ光るお堂で、電飾の光背を背負った金色のブッダが安置されている。

ワニの胴体にも入ることができ、このあたりの地名、オッカラッパに関する絵解きがなされている。

何やら、例の柿に似た果実から女の子が生まれ、隠者が育て、この世の人ではないSakka王子と結婚したが、王子は天に戻ってしまった。

悲しむ彼女のために、インコだかオウム(parrot)が使いとして王子に会いに行き、聖水をもらって4人の天使に助けられながら(途中で天使は鷹に変身)、彼女のもとに戻る。

途中危険に遭って少しこぼれた聖水を、ワニと虎と鹿が飲み、ワニと虎は男の子を、鹿は女の子を産む。

Sakka王子の奥さんは残りの聖水を飲んでオッカラッパ王を産む。隠者は王にブッダの教えを広めるようにと勧め、このパゴダが建てられた。

ユーコさんが「なかなかありがたいお話で」といたずらっぽく笑った。

 他の参拝客らはさらにその奥へと進み、渡し舟で川を渡って対岸のパゴダにまで行っているが、帰れなくなっても困るし他に見たいところもあるので、ここまでにした。

 みやげ物やの並ぶ一画を見ていると、入り口脇の店でナカライメドーを売っていた。息子付き3体で1050チャットだという。ポッパメドーも同じ様な3体で売られており、やはり同じ値段。

ポッパメドーは小型の人形もあったが、ナカライメドーは大きい物だけ。

ナカライメドーやポッパメドーの絵も売られており、絵は150チャット。

日本の武者人形のような鎧姿で日本刀のように細身の刀を振りかざす馬上の人物画が気になり、これを買うことにする。

名を聞くと
「ニンプトゥシーム(と聞こえたが、Aさんはミン(馬)ピュー(白)何とかではないかとのこと。ひょっとして白馬童子とか)。」
と言うが、それ以上会話が通じず、歴史上の人物かナッ神かもわからずじまい。


 1時過ぎ、通りに出てバスに乗る。

どうせビルマ文字で番号がよくわからないので、来たバスにチャウタンジー、と聞いて頷いたバスに乗る。

中は大混雑、下りる人がここに座れと示してくれたりする。 けっこう乗り手のある距離だった。車掌の男の子が気を配ってくれ、下りるところを教えてくれた。

 交差点角のKaung Food Center Restaurantで昼食。150チャットから200チャットくらいの中華風ヌードルを食べる。

 炎天下、30分弱歩いてチャウタンジー寺へ。

英語を話すお坊さんがいて、僧院を見ていかないかと言うので、高床式の僧院にあがらせてもらう。

入ってすぐが読経等をする大広間で、その奥に寝起きする部屋があり、上半身裸で寝ているお坊さんもいて、あわてて袈裟を着ていた。

女性が入っていいのかな、と思ったが、ユーコさんは1対1だったらだめだけど、向こうもこっちもいっぱいいるからいいやと思った、と言っていた。確かにラダックでも結構あちこち見せてもらっていたし。

中は薄暗く、ラダックやチベットの寺院内を思い出す。

ここには25人のお坊さんがおり、この一帯には45の僧院があって500人の僧侶がいる、と言っていた。早朝と夕方7時に礼拝(らいはい)がある。

ビルマ人の男性は皆、一生に一度出家するが、1〜2週間の人もいれば、1〜3年の人もいる。これはタイと同じ、とユーコさん。12〜15歳のときに出家するという。

デミタスよりも小型のカップに甘いお茶を出してくれ、これはインド的。

前からお坊さんの持ち歩く燕脂色の団扇が気になっており、どこで買えるのか尋ねると、くれる、と言う。

悪いから払う、いくらかと聞いても値段がないような話で言わない。柄模様、菊の紋章に似た柄、お経の書かれたもの、と何種類かある。

出家したらもらうもので、売ってはいないらしい。

一人に一個づつくれ、ユーコさんは得度を受けているので2つもらった。

 そのあと、階段を登って有名な寝姿ブッダのある大伽藍へ。

僧院がいくつかある間を回廊が続き、小僧さんたちがサッカーで遊んでいた。

巨大な足の裏に書かれた不思議な文様のところで白人観光客の一行がガイドの説明を受けていた。

前に回ると、なかなか色気のあるブッダ。



古い写真も飾られており、かつては違った姿で屋外に寝ていたようだ。傷んできたので、近年補修したという。

寄進者の額も架かっており、中国人の名前も多く、日本人の名もあった。

案内してくれたお坊さんの話では、韓国人は見かけないが、台湾、広東は見かける、という。

八曜の守護神を載せたお盆が回っており、自分の曜日の受け皿にコインを投げ入れると願いごとがかなうという。

 下に戻り、ユーコさんが僧院に喜捨をしたいと言い出し、そうこうしていると、僧院入り口脇の小部屋から老僧が出てきて、部屋へ招き入れる。

一緒にお経をあげましょうと言い、仏壇の前に皆で座った。老僧の唱えるお経を口まねで後について唱えるように、とのこと。

ちょうど語学の勉強のシャドウィングのように、耳で聞いた音をそのまま口にしてお経を唱え、最後に仏壇に向かって礼拝した。

日本で知人に旅行の写真を見せたとき、皆この老僧はいい顔をしていると言っていた。

 3時半、バスでスーレーパゴダへ。このバスも混んでいたが、奥の男の子は立ったままあの揺れの中寝ており、ときどき膝がカクンとなっていた。

 スーレーパゴダは補修中、というのもあり、ざっと見て出る。有名だが小さいロータリーのようなパゴダで、下町的。のんびり座っている人も多い。

 イスラム教のハラルレストラン、インド人街、問屋市場を通り、上海国際商厦へ(写真はその内部)。

在住者の話では、以前は賑わっていたがユザナができてから寂れたという。

中はモンゴルのデパートよりはましだが、地方の空いているスーパーのようだった。おみやげにミャンマービールを買う。

 隣に観音古廟がある。



 

内部の様子

 

左は寧陽会館

中にいたおじいさんが、広東だ、と言うが、それ以上北京語をしゃべれない。

大通りから横道に入ると、漢字の書かれたお堂がたくさん立ち並んでいる。

はじめ廟かと思って入ろうとすると、ここは廟じゃないよ、堂(タン)だよ、とお婆さん。

でも見たいなら入って見てもいい、と言うので入れて貰う。

若い男の子がおり、きれいな北京語を話し、ピーの女の子よりもうまかった。

彼らは福建の人たちで、こうしたタンは一族グループの共通の先祖を奉っているんだ、と言う。

このお堂は50数年前に建てた、近所の他の一族はビルに建て替えたし、ここもそのうち7階建てにするつもりだ、と言う。

先祖の名は姜公、お姉さんがアメリカ、お兄さんは台湾、親戚が中国におり、中国へは入れないが、台湾の兄は遊びに来る、お母さんがアメリカへのビザを申請中だが、お父さんが病気なので行かれないでいる、と言い、入り口脇を指さした。

奥の祭壇に気を取られていて気がつかなかったが、入り口脇にベッドがあり、老人が寝ていた。そちらを見ると、話がわかるのか手を挙げた。

北京語は両親が少し話す、あとは学校で学んだ、昔は先生が少なかったが最近中国人の先生が来るようになった、でも他国の華僑のように中国語を学ぶにはまだまだ先生が少ない、と言う。

そして逆に
「我們的緬甸(ビルマ)をどう思うか?」
と聞かれ、この我們(私たち)の形容になかなか感慨を覚えた。

 

周囲にはさまざまな同郷会館や堂が並ぶ



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Last updated:07/02/03 .  First uploaded:01/12/03 .  ©1999-2010 XIER, a division of xial. All rights reserved.