2月20日(日)
ピー
朝、ホテルのそばでまたまたナカライメドー神の入った祠を見つけた。
写真を撮っていると、家の人が出てきて祠の鍵を開けてくれた。
何か説明してくれるが、ビルマ語はわからないし向こうも英語がわからないので、結局よくわからない。
朝食後、バプテスト派の教会の礼拝に出る人と、町を散策する人と別れて行動。(詳しくはこちら*D)
10:45 ピー出発。
ここから道路が格段に良くなった。舗装幅が広がり、でこぼこや工事中も減る。
田圃が続くようになり、屋根もサトウキビ葺きか藁葺き。チーク材の植林も多くなる。
それに伴い、チーク葉葺きを見かけるようになった。竹を割った棒に、竹ひごで編んで留めており、小屋やお店に多い。
チーク葉を運ぶ人々
田圃は二期作が多く青々としており、一期作のところは野焼きのあとを多く見かけた。
パゴダお姉さんも村ごとに立ち、音楽が賑やか(昨日のタウンジー以降はパゴダお姉さん地帯だった可能性も高いが、暗くて見なかった)。
一行のクリスチャンの人たちは、
「子どもを学校に行かせてないんじゃないか」
と批判的だった。
バガンでも
「仏教はひどいことするねえ、ああいうもの建てるために、山を丸裸にしちゃうんだからねえ」
と、パゴダ建設のレンガ造りのためにおそらく周囲の森林が伐採され、一面不毛地帯になったことを言っていたので、ユーコさんが少々気分を害していた。
キリスト教もイスラム教も、布教のために血を流しているので、まあお互い人のことは言えない。
11:30 村を見に行くために横道にそれる。
急にがたがた道になり、脇道の両脇の田圃も、一枚が小さく、形もいびつな1坪田圃状態の田が多くなった。
逆に、幹線道路沿いは広い区画が整然と並んでいたことに気づかされ(長方形に近い区画が多く、形がきれいでない場合も一枚が広い)、何だかの形で耕地整理的なものがなされているような気もする。
村のパゴダ(上写真)を見たり、チーク葉葺きの屋根を間近で見たりして、本道へ戻る。
チーク葉を頭に載せて運ぶお姉さん達や、菊を馬車に積んで運ぶ農民がいた。
都市に近づくにつれ花卉栽培もさかんなようだ。
町中や国道沿いの街でも、切り花や鉢物がよく売られている。
12:20 Inmmaで昼食。
1:20 出発。
田の裏作にピーナツやひまわりを見かける。線路と平行に走るようになるが、列車は滅多に見ない。
3:00 緑の水田が一面に広がる中、小島のように森が浮かびその中に村のある光景になる。
道路は村を貫いて南へ下り、例によって森にはたいていパゴダお姉さんがいる。この頃には、ユーコさんも私も寄付額が5〜10チャットに落ちていた。他の車も小銭を投げていた。
昨日の道とは大違いで、ピー以降は車も人も多い。歩行者、自転車、牛車、サイカーが頻繁に通る。
次第、周囲にキャベツ畑が多くなり、ちょうど収穫中で大型トラックに山積にしている。ビルマの千葉、茨城、といった感じだ。
裏作にひまわり、トウモロコシ、菊を栽培している地帯では、やはり乾燥しているのか、あぜを行く牛車がもうもうと土埃をあげていた。
家の屋根には藁葺きが多い。
3:30 道路の右手にState Agriculture Institute
Tharawadyの看板がある。
Thonzeの街のすぐ北で、シェ氏のいとこがここの所長の奥さんだということで、おじゃまする。バナナと西瓜をごちそうになりつつ、話を聞く。
農場のスタッフは80人、奥に農学校があり、300人の学生がいる。高卒後3年学び、卒業後は政府のスタッフになる、と言っていた。
このあと、学校を見学。農園では野菜類他、ひまわり、菊を栽培していた。
菊は日本同様、まっすぐに育てるために網を張っている。
ボカシも作っている。
奥に3、4階建ての学校があり、さまざまな品種の観葉植物を集めた温室もあった。
農家の庭先にも、この温室にあるような里芋に似た観賞用の植物、エンポリウムなどが植わっているのをよく見かけるし、この手の植物の需要は結構あるようだ。
スタッフと学生ら十人くらいが一緒に回ってくれた。皆人なつこい。
4:00 出発。この日も途中何回か給油した。
5:15 大きな料金所を通過し、もうヤンゴンだ。
右手にジェルサレム村を通過し、6時に市内に到着。ヤンゴンには大きな木や森が多い。
ホテル近くの中華料理屋、Swelで夕食。
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