シッキム旅行記(2005年)
 

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 1.3.北シッキム:ポドン

 朝6時半に SNT バススタンドへ行き、Sikkim Info サイトにあるマンガン行きやペリン行きのバスについて確認するが、2005年3月の時点では運行していなかった。窓口の人もジープで行け、というので、ハイウェイ沿いにある、北シッキム方面行きの車が出るジープスタンドへ向かう。

 シッキム州は行政区が東西南北の4つに分かれている。ガントクのある東シッキム、マンガンに郡庁のある北シッキム、ナムチが郡庁の南シッキム、ゲイジンが郡庁の西シッキムである。ポドンは北シッキムにある。

 ところが、ジープスタンドとされる周辺にあまりジープがいない。近くのホテルで尋ねると、場所が変わった、ゼロポイントの先のベイサ映画館前だ、と教えてくれる。

 現在ガントクではあちこちで再開発をしており、南や西方面へ向かうジープスタンドも Children's Park からナムロンに仮移動していた。この情報はロンプラにも載っているのだが、北シッキム行きも移動しており、ロンプラ情報も若干古い。

 映画館前には、なるほどかなりの数のジープが並んでいた。ちょうど一台、マンガン行きが出るところだったので、飛び乗る。すばやく窓の外に張ってある料金表をチェック、ポドンまでは50Rsとあった。

 この時点でジープの中は前3人中央4人後部の向かい合わせ席に2人。アーリアン2名に残りはモンゴロイド。途中の村で2人乗せ、11人に。通過する村を見ても、やはりアーリア系の地元民を結構見かける。

 シリグリ−ガントク間も軍用車両が多かったが、この北シッキムへの道でも頻繁にみかけた。ガントクを出てしばらく行ったあたりには、アーミーキャンプがある。
 北シッキムと東シッキムは中国と国境を接しているためだろう。
 道端には、「国境の町」だの、「道路は国の財産、ゆっくり運転しよう」だのと書かれたスローガン。

 途中、ひどい土砂崩れの箇所があった。斜面から水が湧き、崩れて補修中の箇所も結構ある。雨季はかなり危険な気がする。
 今回の旅行で回ったところは、標高が大体1200mから2000m(ペリン)くらまで、日本の山とそう変わらないが、谷がもっと深い。転落したら確実に生命にかかわるヘアピンカーブを、警笛を鳴らし対向車に知らせつつゆく。

 Teesta 川をはさんだ対岸の中腹にも村が見える。川の支流を橋で渡り、山端をぐるっとめぐり、また橋を渡ってめぐって、の繰り返しが続く。

 道路脇を徒歩で歩く人も結構いた。民族衣装の人もいるが、地元民でも若者だと、結構きれいなリュックを持っていたりするので、バックパッカーか地元民か一瞬わからなかったりする。
 三角錐の竹篭に切り落とした葉を入れ、額で支えて運ぶ人もよくみかけた。完全に前かがみになった人、ヨタヨタ歩く老人もおり、かなりの重労働のようだ。

 9時過ぎにポドン到着。ジープに乗ったのは7時半頃だったので約2時間。
 この町はマンガンまで行くジープの休憩所になっており、多くのジープが駐車している。ベンガル人観光客も大勢ここまで来ている。7年前にラダックに行ったときも、若干インド人観光客がいたが、さらに国内旅行がさかんになってきているようだ。

ポドン・ゴンパ
 ゴンパへの坂道で、ラマ僧に会う。ポドンのバザールまで3キロの道を歩いて往復しているが、いい運動だと言っていた。外国人観光客はよくくるとのこと。

 ポドンゴンパは1740年に建てられ、シッキムの3大カギュー派ゴンパの一つ(残る2つはルムテクとラロン)。来訪者に親切で、読経の様子などを見せてくれるとロンプラにある。

 僧院では読経の最中だった。入ってもよい、というので隅に座らせてもらう。ご詠歌というのか、レコーダーを持ってくるべきだった、と思うほど、荘厳な読経だった。最初は少人数が詠い、あちこちでチャッチャッと声が入る。やがて全員で詠いはじめ、例のチベット仏教のシンバルやホーンが響き、小僧さんが太鼓を叩く。再び全員で詠って終了した。

 佳境に入る前、チャッチャッと声が入るあたりでは、後ろに並んで座っていた小僧たち(6,7歳くらい)はこちらをちらちら見たり、長いすの下に置かれたツァンパ(シッキムでは煎り米のこと、チベットのツァンパとは異なる)の入ったざるから一つかみとって食べたりしていた。

 堂内の祭壇にはラマ僧(おそらくカルマパ)の写真が祀られていたが、中は撮影不可。旅行ではあまりお金を使う機会がないので、各ゴンパに300Rsずつ寄付することにした。

ラブラン・ゴンパ
 ポドン・ゴンパからさらに山の中に入ったところにある。ここはニンマ派で1844年(シッキムインフォによれば1814年)建立。山道を上って11時頃つくと、ちょうどラマ僧たちが僧堂前の広場で、米にカレーのようなものをかけ、お昼をとっているところだった。こちらは堂内の撮影がOKだった。

 英語のできる人がチベット茶とツァンパを出してくれる。しばらくしてフランス人の団体観光客が来ると、彼らにもふるまっていたので、案内係のようだ。彼の話では、僧院には少年から老人まで80人ほどいるそうで、今は乾季でこれから暑くなり雨季に入る、シッキムでは米とトウモロコシが主作とのこと。食堂も見せてくれ、米をつまむと日本米ほどねばりはないが、短粒種。頼まないのに、ツァンパを分けてくれた。

トゥムロン
 ラブラン・ゴンパからほぼ垂直に下がったところに、かつてシッキムの3番目の首都だったというトゥムロン(Tumlong)がある。行き方をたずねると、少年僧が案内してくれた。
 少年僧はブチェア族で、みちみち、こんにちははタシデレ、ありがとうはトジチェと言う、と教えてくれる。

   車道から脇道に入り、村中の道を下りてゆく。途中、竹の門や柵で道を遮断しているところもあるが、柵をはずして通りぬけ、また元に戻して通ってゆく。
 周囲は段々畑や棚田になっており、田にはこの季節は麦が植わり、ちょうど出穂したところだった。まだ緑の穂は、数えられるほど粒が少ない。

 かなり下ったと思う頃、林や草に覆われた石垣が現れた。
 ここがかつて19世紀始めに西シッキムのラブデンツエから遷都し、約90年間シッキムの首都だったところ。斜面の途中で、平地はそう広くなく、石垣の向こうは谷になっている。
 ジープで幹線道路を行くと、道の下のほうにかなり広い平らな土地を見かけることがある。なぜそうしたところに都を作らないのか不思議だが、攻撃されないためか。このあと、首都はガントクに移った。

 なお、トゥムロンが3番目の首都だったという話は、シッキムインフォによる。ロンプラではトゥムロンの記述はなく、ラブデンツェからガントクに遷都したとなっている。また90年間、というのはかなり長く、20世紀直前までここが首都だったことになり、計算があわない。
 ただし、サイトにある、1849年にイギリス人 Dr. Hooker が拘束され、トゥムロンの王宮に幽閉された話は、当時の情勢と符号する。彼はここの様子を詳しく書き残しているので、しばらく王宮があったことは事実だろう。

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シェーインナラゴン
 さらに下ったところに、シェーインナラゴン(sheh-inna-ragon)というゴンパがある。ラブラン・ゴンパで尼僧院がないかと尋ねると、ここを紹介されたのだが、現在は無人だった。
 少年僧は村人にゴンパの鍵の場所を尋ね、村の女性が主人の服のポケットに入っている、と持ってきてくれた。堂内には中央に菩薩と両脇の神、高僧とダライラマの写真が祭られていた。


 斜面を登って車道に出、トゥムロンのジープ停留所になっている2,3軒お店のあるところまで行く。
 ポドンまでジープで戻ろうとするが、ベンガリツーリストや白人ツーリストで満席、通過が多い。後部座席が2人分あいていたジープも、いったん停まったが行ってしまった。
 少年は「ベンガリツーリストの車だ、ドライバーはシッキミーズだが・・・」と言って、なんとなくあきらめムードになった。
 私は歩いてポドンへ行くことにし(どのみち大した距離ではない)、彼も村道を登って帰ることにした。

 12時半、ちょうど学生らが歩いて帰宅している。
 セカンダリースクールの15,6歳の少年たちで、色が白く茶色い目をした多少アーリア系っぽくみえる子はダージリンから来たタモン族、モンゴル系はシェルパ族、もう一人色黒のモンゴル系はネパリ(ネパール人)、いかにもインド人の褐色の肌、大きな瞳に長い睫毛のお人形さんのような子は「ベンガリ?」と聞くと本人はシャイに笑っていたが回りが「ノー、ビハリ、ビハリ(ビハール人)」と騒ぐ。みんなばらばらだが、今は仲良く連れ立って歩いている。

 彼らの共通語はネパリ。ポドンのバス停とホテルの先に寄宿舎があると言っていた。学校は8時から13時まで、今は期末テストの最中なので帰宅が早い。

 ほどなくポドンに到着、まだ1時半なのでマンガンまで足を伸ばそうかと思うが、昼を過ぎるとジープがなかなか来ない。やっと来た1台も、ここから2時間かかる、今から行くと今日中にガントクに戻るのは無理、明日朝乗って帰ることになる、というのであきらめる。

 実は、通常の許可証では行ける範囲が限られている。北シッキムはポドンまで、東はガントクとルムテク、西シッキムもペリン周辺までしか入れない。また、幹線道路(英文ではハイウェイとなっているが)から離れてはいけないことになっている。そのため、北シッキムの景勝地ユムサンバレーや、トレッキングなどで西シッキムの奥へ行く場合は、別の許可をとる必要がある。ポドンにも遮断機のついたチェックポイントがあり、警察が常駐していた。

 ガントク行きのジープを待っているとき、道端で、いかにも南方ドラビタ系の顔立ちをした夫婦が、ふいごを拵え、ゴミとなったブリキ缶を熱して溶かし、鋳型に流し込んで仏像を作っていた。写真をとったり熱心に見ていると、学校帰りの子供や近所の村人も集まってきて大人数になり、口々にしゃべりつつ見物しだした。

 この騒ぎに、チェックポイントの警官がやってきた。最初遠くから様子を見ていたのが、いつのまにか背後すぐ後ろに立っている。なんかチェックが入った感じ、このへんインドは結構厳しい。ガントク行きジープが来たので、素直に乗りこみ、戻ることにした。


 途中の村でもジープに何人か乗ってきた。
 ファンタム(Phantam)という村の学校の下で、さらに乗る人がいるから、と待つことになった。斜面の上へ声をかけたり、携帯で電話してもなかなか来ない。先を急ぐ村人は後から来たジープに乗り換えたが、別に急ぐ旅でもないので、外に出て気長に待つ他の乗客らと、よもやま話をする。

 ドライバーによれば、ジープはガントク、マンガン間を1日1往復しているという。
 ドライバーはネパリ、太ったモンゴロイドのおやじはブチェア、オレンジシャツの細身の男性はレプチャ、そしてインド人然としたベンガリ1名で、やはりみなばらばら、そして共通語はネパリ。ブチェアおやじとオレンジシャツはTシャツ1枚なのに、ベンガル人はダウンを着込んでいる。「寒いですか」と聞くと、ここの気候は難しい、寒いかと思うと急に日が差し、hotになる、と言っていた。

 ブチェアおやじはよくしゃべり、最初チベット人か、と聞かれ、日本人だと答えるといろいろ解説しだした。ニンマパ(ニンマ派)とカギュルパ(カギュー派)はほとんど同じ、自分もカギュルパだ、チベットはゲルグ派で全然違う、ここの僧侶の袈裟は紅い色だが、チベットは黄色だ。ニンマパとカギュルパはお互い交流があるが、ゲルグパとはほとんどない。シッキムの僧院(ゴンパ)はほとんどがカギュルパかニンマパで、ゲルグパの僧院は一つだけ(Gnathangゴンパ、チベットとの国境付近にある)、4/21にダライラマが来ると言っていた。ダライラマはチベット人にとって最高位のラマであるだけでなく、Kingでもあるので彼らにとって大事だと評していた。

 このほか、ガントク郊外にシッキム唯一のサキャ派のゴンパ(Sa-Ngor-Chotshog、チベット難民の僧院センター)、南シッキムのSosingにシッキム唯一のボン教の僧院がある。尼僧院について尋ねると、ガントク郊外のタシビューポイントのそばに一つある、と言っていた。

 同じモンゴロイドに見えても、ブチェアだったりレプチャだったりネパリだったりする。いかにもチベット風の衣装を身に着けたチベット人も見かける。インド人に合法的にのっとられた、というシッキムだが、自分と王家が同族か否かによって、見方も異なるかもしれない、という気がした。シッキム王家は何族だったのだろう?とこのとき、ふと思った。(シッキムの歴史はこちら


 ここから乗るという学校の先生はまだ来ないので、その学校を見てみることにした。学校は車道から斜面を上がってすぐのところで、女性の校長先生が出てきて、案内してくれた。

 生徒は160人くらい、ジュニアスクール8学年(うちジュニアハイ2学年)、セカンダリー2学年で、その上はポドン、ペンソンの学校へ行く。低学年は1クラス20数名で午後1時まで、上級生は十数名で午後3時までの授業。授業はネパリと英語で行うが、ブチェア語を教える授業もある。

 山の中の学校なのに、コンピュータールームがあり、7、8台はそろっていた。OSはWindows98、インターネットの環境にはない。校庭はサッカーをできるそうで、結構広い(それこそ”宮殿”が建ちそう)。

 ジープに戻ると、学校で見かけた女の先生が二人とモンゴル系男性2名が乗っている。さらにもう一人男の先生が来るのを待ち、10名で出発。

 途中村を通過するたびに警笛を鳴らし、乗客がいないか確認する。ある村で一人、次の村でまた一人乗り、結局12名に。中央は5人がけになり、一人の女先生は別の女先生の膝の上だ。彼女らはこうして毎日、乾季も雨季も、あのひどい土砂崩れ脇を通って、ガントクとファンタムを往復しているのだろう。

 とある村で運転手はおばさんに声をかけ、布袋に入った荷物を降ろした。宅配サービスもやっているらしい。
 ガントクに戻る手前のアーミーキャンプを通過し、4時半、ガントクに到着。

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Last updated:07/01/22 .  ©1999-2010 XIER, a division of xial. All rights reserved.