ス  イ  ス  旅行 5

ユ ン グ フ ラ ウ

2017年秋の記録

 ヴェンゲンから、ユングフラウ鉄道に乗ってユングフラウヨッホへ。スフィンクス展望台からユングフラウとアレッチ氷河を見た後、鉄道でアイガーグレッシャーまで下り、クライネシャイデックまでハイキング。その後、鉄道でラウターブルンネンに出て、バスでシャフハウゼンへ。




ヴェンゲン
 なかなか趣のあるホテルだった







 ヴェンゲンの町 人口千人の小さい町だ



ヴェンゲン駅 登山鉄道は建設維持にお金がかかるので、まともに買うと高いという
 チケット失くさないようにしてください、と厳重注意



 ユングフラウ鉄道の車窓から





 左上:アイガー北壁    右上、下:クライネシャイデック駅 ここで乗り換える
 左からアイガー(男性)、メンヒ(坊さん)、ユングフラウ(女性)







 右下:アイスメーア駅   臨時停車して、右下写真の窓から左下写真のような景色を見ることができる。停車時間が短いので長居しないでください、とのこと。中国人団体客が乗り遅れたりしているという。



ユングフラウヨッホ
 下:ユングフラウヨッホ駅 ヨーロッパ最高峰の駅  左はスイス最高峰の郵便ポスト



スフィンクス展望台



展望台から見た景色の並び: 左手にメンヒ(上写真)
目の前にヨーロッパ最長の氷河アレッチ氷河(左下) 右手にユングフラウ(右下)の順にみられる





氷の洞窟 氷河の中に作られた洞窟回廊  氷のオブジェもいろいろある  中国人観光客が大勢いた





パノラマ展望台スポット ここも大勢の中国人台湾人
 左上:ユングフラウ   右上:アレッチ氷河   下:メンヒ

ハイキング
 下:アイスグレッチャー駅 鉄道で下り、ここからクライネシャイデックまでハイキング
 このコースも、ゆっくり行けば年配者でも歩けるなだらかな下り道
 ガイドさんによれば、数日前に雪が降り、もう今後は雪原ハイクになるだろう、とのこと。夏7,8月でも雪が降ることもある。一方、ジュネーブで39度になったこともあるという。





 右上:山上集落 ミューレン村 ロープウェーでしか上がれない。牧畜のほか、観光とスキーで食べている。もともとは日当たりが良いので村ができた(この経緯は、日本の山村と同様だ。山はお椀を伏せた形になっていることが多く、谷に向かって崖のように落ち込み、肩のあたりになだらかなところがある。日当たりもいいので、奥多摩秩父檜原でも元々は高所集落が多い。今は車社会になったので、車道の通る川筋まで皆降りてきている)



 このあたり、ユングフラウヨッホの下は、冬はスキー場になる。なだらかなので初心者コース、ヴェンゲンまで下りられる。男子滑降のワールドカップのときには、人口1000人のヴェンゲンに、6万人の人が押し寄せるという。



 途中の池は、人工雪を作るための貯水池で、凍らないように15m以上深く掘ってある。



 左上、左下:旧山小屋ミッテルレギ・ヒュッテ(アイガー東山稜山小屋) 1924年、日本人登山家槙有恒氏がミッテルレギ稜の初登攀に成功したことから、山稜の肩に建てた山小屋。建築費用の大半を槙氏が寄付して建てたという。2001年建て替えられ、役割を終えたことから、ここに移築された。中に登攀用具だのが展示されている。





 左上右上の縞々模様は、牛の放牧後。牛の放牧は、下から上にだんだんに上がってゆき、そろそろ終了の季節。この縞々は牛が歩いた跡で、横に歩き草を食べながら徐々に上がってゆく。
 左下:牛の落とし物    途中に小屋があったりするが、雷雨のときなどに入れる牛小屋







 ファルボーゼンデー湖
 池のほとりに、アイガー北壁で遭難した人々の名前が刻まれた石が並んでいる





 右上:クライネシャイデック駅が見えてきた 奥の山が滑降のワールドカップ会場になるスキー場
 左下:ミューレン村が見える





 右上:エーデルワイス
クライネシャイデック
 駅そばのアイスクリーム屋には、中国語タイ語表記はあったが、日本語韓国語メニューはなかった





 クライネシャイデックからユングフラウ鉄道でヴェンゲンに戻る
 ここから歩いてグリンデルワルトに出ることもできる(右上)









 右下:手袋のような岩峰は、プレスリーの横顔と呼ばれ、地元の人がロッククライミングの練習に使う山だという
 また、アイガーの奥の山は、地元の人が昔、この山にかかる雲を見て天気を予想していたという



ラウターブルンネン



 ラウターブルンネンからは、バスでシャフハウゼンへ向かう





 左上、左下:ルツェルン近くの湖脇を通過



 右上写真のあと、チューリッヒを通過



 小麦畑が多い



シャフハウゼン
 ライン川沿いのドイツ系の町。中世は水運の町、近代になるとライン川の水力発電によって栄えた。
左下は水門で、水害で市内が水没したことがあるため、水量調節している







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