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3.バスと地下鉄での寺社めぐり&食べ歩き

 今回は寺社や胡同、レストランをメインに回った。故宮や八達嶺、頤和園はもう行った、今度は街中を、という方の多少のご参考になればと思う。


1日目

 東便門:新規なデザインのアパート群がある。バスで寛街へ

 呂松園賓館:四合院式(右写真)の旅館でドメトリー(100元)がある。このとき知ったが、北京のドメトリーは3、4人部屋の男女同室だった。会社を退職し、これから2カ月かけて中国を回るという相部屋の日本人女性も「大部屋で男女一緒ならいいけど」と戸惑っていた。


 この賓館周辺にも胡同(写真)があり、街を歩きつつお寺を見て回る。途中、冬に備えてメイ(煤)を干している様子、路上市場(トサカの青い鶏がいた)を見て、屋台で食事。


 文天祥寺:近年開放された。元末に中国人を率いて蜂起した人のお寺。

 孔廟:ここも近年整備されたが、まだまだ修理中。巨大な亀がいっぱい。白人客が多かった。奥に行くと、手のひらでお盆をこすって四隅から水滴を湧き立たせる実演ができる。この手のひら摩擦がつぼを刺激して健康にいい、と係のおじさん。

 擁和宮:大型観光バスの並ぶ典型的観光地と化していた。十年前はラマ僧の老人と小僧さん以外見かけない寂れた(落ちついた)寺院だったのに。チケット売場にも人が溢れ、混んでいたので中に入るのはやめる。中国線香を手にしたカップルや家族連れが多い。

 この後地下鉄で事務所へ行き宝塚のチケットを引き換えた後、朝陽門でバスを降りて胡同を歩く。さんざしの飴売りがいた。甘酸っぱい北京の冬の味。

 智化寺(写真右、下):1997年一般公開開始。街中の明代のお寺で、1910年頃からの展示写真が苦難の歴史を物語る。中国語を話すバックパック姿のおじさんや家族連れがいた。


 建国門のマクドナルドで昼食。このときもコーヒーを落としたらすぐに拭いてくれ、代わりを持ってきてくれた。3年前の上海でもフードコートで春巻きを落としたらすぐに女の子が新しいのと取り代えてくれたのだが、この話を中国語仲間の中国駐在経験ありの人に話しても信じてもらえず「偶然だよ」という。しかし偶然で2回もあるか? やはり中国は変わった、と思う。

 賽特購物中心:日本のデパートと似たレイアウトの今風デパート。若い子で賑わっているが服は一着3、400元から千数百元と結構高い(高級ブティックではなく通常フロア)。ということは、奮発すればこの値段でも手の届く層が結構いるということになる。かなり賃金格差があるのかもしれない。

 秀水市場(写真右):アメ横的、やたら混んでいて売っている物もダサイと思う。なぜ有名なのかわからない。安い偽ブランドでいいやという地元の若者が来るのはわかるが、結構白人もいるから不思議。

 このあとバスで劇場へ行き宝塚を見たあと地下鉄で東単へ。


 東単:HUSYU PUPPIE'Sその他日本でも見慣れたブティック、地元ブティックが並ぶ。歩いて王府井へ。

 新東安市場:かつては東風市場の名称だったはず(この名も時代遅れか)。中央が全館吹き抜けの真新しいビルになっていた。ここのフードコートで夕食。注文しているときに小銭入れを落とし、おばさんが「誰のお財布?」と教えてくれる。スリが増えたと聞いていたが、盗難は一度もなくむしろ親切な人が多かった。やはり買い物帰りで一人で食べているおばさんと相席になり、香山の紅葉について尋ねる。「普通は11月初めがいいが今年は早いし色も悪い」という。すると向かいの女の子二人連れは「まだ緑だよ」と言う。翌日行ってわかったが、山の上のほうの紅葉は大体落ち、遠くから見ると常緑樹の松だけが目立つ状態だった。北京で何を見ているの、と聞くので、胡同を歩いたと言うと「へえ、胡同」と嬉しそうに笑った。


 東安夜市:酸辣湯、焼き肉、おでんに似た串物、揚げ物、と同じような食べ物を扱う屋台がずらりと並ぶ。どこもかなりの人だかり。酸辣湯はおいしかった。快速バスで帰る。


2日目

 宿から銭湯、北京南駅とバスで移動。

 北京南駅:かつての永定門駅。十数年前、僑園飯店のドメトリーに泊まったとき、このあたりは柳並木の運河に田園地帯の広がる田舎で、ろばの荷馬車が通っていた。それがすっかりビル街になり道路も整備され自動車が行き交う。なんだかまったく別の場所のようだ。駅周辺は大荷物を背負った中山服姿のおのぼりさんが多く、みやげ物屋の雰囲気も上野がさらに寂れた感じ。鳳龍賓館のドメトリー(40元)は満室のため、京華飯店のドメトリー(35元)へ(宿を変えたのはあちこちのドメトリーに泊まってみたかったため、呂松園が悪かったわけではない)。

北京南駅はおのぼりさんが多い感じだった。右は路上の床屋さん

 瑠璃廠(右写真):飯店からバス。真新しい清代の町並みに改装されているが、何やらテーマパークのよう。1980年代はじめ、このあたりは泥道だった。胡同を歩きバスで西単へ。(この周辺の胡同の写真はこちら

 天源醤園:有名な慶豊包子舗で食事したかったのだが、この一画に真新しいビルを建設中だった。移転先はわからず、とりあえず西単のもう一つの老舗天源醤園で漬け物を買う。地下鉄でピングオ園へ。駅前のフードコートで昼食。


 香山:駅からミニバス。今回の旅行のもう一つの目的は香山の紅葉を見ることだった(いわゆる北京秋天)。日曜と平日を組み合わせた週休2日制も増えているそうで、平日だが若者の男同士、女同士数人連れやカップルが大勢いる。時間がないので枕草子で有名な香炉峰にはリフトで登り、歩いて下りた。紅葉は上はもう終わっていた。頂上は557メートルの高尾山より若干低い感じの山で、北京の平野がよく見渡せる。下りで、厚底靴のままへばりながら登ってくる女の子達と何人もすれ違った。みんな元気だ。ふもとにチベット式の昭廟、瑠璃塔、碧雲寺がある。碧雲寺はかなり広く、薄暗い堂内に沢山安置された羅漢像が不思議な感じ。ミニバスで動物園に出た後、バス。

    

香山の紅葉


 魏公村:ウイグル人が集中して住む新彊村。シシカバブなど西域料理、清真料理が食べられる。大通りそばの店の回りに、顔立ちの異なるウイグル人男性が手持ちぶたさの様子でたむろしている。日が落ちると治安が悪くなるという噂を聞いたので、レストランで食事するのはやめにして、パンと串焼きを買い食いする。シシカバブはお勧め、パンも焼きたてだとおいしい。漢人も来ていて中年夫婦が「あれ、普通話が通じないよ」と言いつつ「試試買」とパンを買ったり、近くの大学の学生が数人連れで清真レストランで食事をしていた。モンゴル料理屋もあり、ハングル文字の看板も多い。マイノリティーはマイノリティーの多い地域に入ってゆく典型かも。バスで中関村へ。

 中関村:コンピュータ専門店の並ぶ通り。バスで前門へ。

 前門:北京の浅草。正陽門がイルミネーションで飾られライトアップされている。北京ダックで有名な全聚徳へ。一人メニューがあるか不安だったが、中国人用の席に通され定食メニューを持ってきた。一人で食べている男性も多い。定食は紙皿に紙コップですぐに出てきたが、ファーストフードのようで少々味気ない。かなり油っぽく食べきれなかった。2階の外国人用席には皮だけの高級メニューがあるという。

 少し前門をぶらつく。日本の百円ショップと同じレイアウトと品揃えの2元ショップがあり、若い子で賑わっている。どうやら1元50円の物価感覚のようだ(レートは1元15元くらい)。バスでホテルへ。

3日目

 ミニバスで瑠璃廠のスーパー銭湯に行った後、バスで白雲観へ。

 白雲観:道教のお寺。ここは、観光半分でなく”本気でお参りしている”信者が最も多かった。仏教とはまた違う金ピカのお姿に赤い衣装の聖人を奉ったお堂が並び、長髪を櫛で頭上に束ねた道士が大勢いる。参拝客は線香を供えたり、小銭形のドラに銅銭を投げて鳴らしたりしている。ここも急ピッチで復旧工事中だったが、資金も潤沢なようす、寄進者名を彫り込んだ石碑の筆頭にはなんと、阿含宗の桐山靖氏の名が掲げられていた。



 丁寧寺塔(右写真):工場の敷地内にあり、塀越しにしか見られない。北京で一番古い寺(北魏時代)というが。

 牛街:塔からバスで牛街南へ。胡同(写真)で有名だが、北側は取り壊されて高層アパート群を建設中だった。ニュースステーションでも1999年夏に、消えゆく胡同の特集で牛街を放送していたという。法源寺へ行きがてら街を見て歩く。南側も中層アパートに建て変わったところが多い。


胡同の貸し屋の張り紙を見つけた。長期滞在だったらこういうところも面白そう。ただ北側の建設工事のせいで、妙な高音が常時通奏音のように響いていて、どことなく不安な気分にさせられる。

 法源寺:唐代に立てられたお寺。隣に仏教学院があり、若いお坊さん達がひなたぼっこしていた。落ち着いたいいお寺。古い仏像が山のように展示されていて、もともとお
金持ちのお寺だったようだ。

 牛街礼拝堂:イスラム寺院(見た目は中国建築)。回りには清真料理屋が多い。バスで西四へ。

 西四:ここも有名な繁華街。本当は西四にある同和居飯荘でお昼を食べる予定だったが、移転していた。その辺の人にきくと「白雲観のほうに越した」という。北京生活地図册で見ると確かにそちらにあるので、急遽土鍋料理で有名な砂鍋居飯荘へ。これが正解で、一人用メニューもちゃんとあり(円卓でなく個食する中国人も増えているのだろうか)、豚肉の土鍋料理を出してくれた。生姜味でおいしい。(ここにも胡同がある)

 広済寺:西四から白塔寺までの大通り沿いにあり、徒歩ですぐ。無料で入れ、近所の老人がのんびりくつろいでいる。ここも復旧中で、仏教協会と書かれた入り口が奥にあった。法話の予定表や、法音という仏教雑誌のポスターが張ってあり、今回北京で見た仏教寺院の中でもっとも布教や信仰に忠実な、観光ずれしていないお寺のような気がした。



 白塔寺(写真右):ここは大型観光バスも来るメジャースポット。中国人団体客がぞろぞろいた。有名な白塔のそばへ行くと、何やら見慣れた(最近モンゴル、チベット、ラダックとそちら方面ばかり旅行していたもので)白布がひらひら風に舞い、法輪印だの座る鹿のシンボル像だのがある。あれ、とガイドブックを見ると、ここも元代に建てられたラマ教寺院だった。晴れた日には巨大チョルテンの白色が青空に映えて美しい。バスで北海へ。


 北海公園:何度か行っているが、ほこりっぽい北京で水のある風景はなごませてくれる。湖の島にある永安寺の白塔から北京を一望できる。



 今回気づいたのだが、北海公園の島にある永安寺の白塔もチョルテンだった。お寺に”登る”とチベット仏教の神像や弓矢が奉られ、何だか北京もラマ教のお寺が多いな、ユーコさん達と行ったモンゴルチベットラダック旅行の延長みたいだ、と感じた。元はモンゴルなのでラマ教だったと知っていたが、清もラマ教だったとは今回初めて知った。

 景山公園:北海公園の隣。中国語の老師から、ここから見おろす故宮の黄色い甍の波がすばらしい、と勧められて来る。北海からも見えるが、景山は故宮の真正面なのでより良い。華僑の団体が旗についてぞろぞろ歩いていた。



 鼓楼、鐘楼:景山公園からバス。各地にあるXX門や北海公園の隣の団城もそうだが、こうした巨大建造物があちこち町中にいきなりあるのも、さすが北京、大国の首都、という感じだ。特に鼓楼(写真右)、鐘楼は周囲のロータリーが狭く圧迫感がある。周辺は下町の雰囲気、このあたりも胡同で有名。鼓楼大街駅まで胡同街を歩き、地下鉄とバスで白雲観そばへ。

 同和居飯荘三不粘のお菓子で有名な店。ここで夕食。


 三里屯:バス、地下鉄、バスを乗り継いで到着。地下鉄を使うと速い。有名なバー街で外国人も多い。日本人経営のJazz-Yaでビールとサラダで一杯。日本人グループ、中国人グループ、日本人と中国人の組み合わせ等々でほぼ満席。崑崙飯店まで歩く。







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Last updated:07/01/24 .  First uploaded:01/12/03 .  ©1999-2010 XIER, a division of xial. All rights reserved.