(右写真:ディマプールへの道)
バスではキラン氏と隣になった。彼はディマプールの200キロ先、モコクチュンで農業共同組合長を務めており、養豚を経営している。皆に来てもらいたかったのに許可が出ず残念だった、と言っていた。コヒマを見る分には、人々の生活がそう極端に貧しい感じはないが(勿論そう豊かというのでもない)、彼はナガの農村は貧しいという。マニプールでもコヒマでも物乞いはまったく見かけなかった。ラダックでもそうだったが、インドのモンゴル系の住む地域は物乞いプレッシャーがなく、極端な値段交渉もないので居心地がいい。その一方で周囲を圧倒する華麗な大宮殿も寺院もなく(ラダックの寺院もそこそこの規模で回りと調和している)、皆おしなべて日本の戦前あたりのレベルで生活している感じだ。ナガの農村は専業が多いのか尋ねると、小さい店をやったりオフィスで働いたり賃労働に出たりして何とかやっているという。
またナガの政治は腐敗している、選挙制だがナガ人は so simple
people なので物をもらえばそれで投票してしまうんだ、との話(それは日本もIOCも同じ)。ナガ人は良くも悪くも simple people
だという表現は他の研修生からもよく聞き、その人なつこい感じは、個人的に知人の多い台湾人のノリ(開放的で friendly
な感じ、さらに親日的というのも似ている)に通じるものもあって、戦友会の人たちが思い入れを深くするのもわかる気がした。
インドには所得税と消費税があるが、ナガランドは貧しい州なので所得税を免除されている。またナガランドには中央政府から助成金が下りるが、有効に使われておらず州政府を腐敗させるだけだ、という。
バスの車窓からは水牛や牛に耕作させている風景が目に入り、また稲の手植えや棚田など、記録映画で見る2~30年前の日本のようだ。そうした話をすると、彼は私の話し方に敏感に感傷を感じとったようで、「でもそれは
just a dream だ」と言ったので、鋭いなと思った。
バスはコヒマから徐々に下って行く。ディマプールは標高200mなので1300m下りることになる。ところどころ棚田や村があり、植生もシダ系の植物は見あたらず、幹や枝がしっかりある広葉樹が多くて日本の山道のようだ。途中トイレ休憩で峠の村に停車した。この日も警察のジープがずっとついてきており、休憩中に近づいてもニコリともせず話かけてもこない。一行の男性が村人と話そうとしたら、警官が下りてきてさえぎるようにして引き離された、外国人が地元の人とコンタクトを取るのをいやがっているみたいだ、と言っていた。ただ、警察や地元の軍隊は地元民が多いので、安心できるとの話も聞いた。この村の各家の入り口には木がアーチ型に渡してあり、蘭が咲いていた。花に詳しい同室の牧師が、マニプールやナガランドには蘭の原種がある、ここもきれいに咲かせているわね、と感激して写真にとっていた。この後訪ねたアッサムの村にも蘭が自生していた。
ほぼ山を下りきったあたりの左手に小高い丘があり、キラン氏がその上の建物を指さして、あそこは車を停めて食事のできるところだ、と言った。後でTTK
PHARMA
社発行の赤い表紙のインド州別地図を見ると、なるほどドライブインの印がついている。その少し先がガスパニのネザレ農場。国道から少し左へ入り、8時半頃到着。