東北インド(マニプール・ナガランド・アッサム)
カルカッタ旅行記
  (1997年)

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4.アッサム州


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カルビアンロン県ガジランガ動物保護区ゴーハティ市

4.アッサム州

 すぐにアッサムとの州境があり、ここでもビザ番号を各自提出する。48時間を少々過ぎていたと思うが、特にトラブルもなく出ることができた。ベンガル人ガイドの話では、戦友会関連だとコヒマの入境許可は3、4日出るが今回は2日だけだったという。ただし州の入境許可では田舎には行かれない、戦友会の行くところは田舎ではない、今回は田舎へ行くので大変だった、タメンロンやウクルルの手前(シャンシャク)は許可を得るのにとても難しいところだと言っていた。

 ここからはバスに同乗してくれる研修生はムクルライさん一人だ。アッサム州の研修生は3人しかおらず、しかも一人はバスの事故で重傷を負い療養中の身。最近やっと半身を起こせるようになったという(やはりローカルバスは危険)。車椅子の一つはこの研修生に渡すために持ってきた。もう一人もサラリーマンになり、現在はNGO活動や農村開発から離れている。

 州境を越えると、とたんにヒンズー教の寺院が目につくようになった。そして、線路脇、橋の入り口、果ては村の入り口に至るまで、いたるところバーで道路を封鎖しており、近くの小屋から人が出てきて確認した上で車両を通す。時にはもう誰もおらず、クラクションを鳴らすと村人が出てきて眠たそうに遮断機をあげてくれることもあった。

 脇道に入ると、竹の棒に紐をつけただけで、紐を引けば簡単にあがる形式になっているものもあり、公的なものだけでなく、各村で自衛のために設けている感もある。(右写真:わかりにくいが左にバーがある)

 じぐざぐに石やドラム缶を並べた箇所、道路に帯状の隆起を何本もつけて車のスピードが落ちるようにした箇所(かなりがたがた揺れる)もあり、それは会社の事務所や大工場の門の前に多い。

 アッサムはアッサムで、ナガランドやマニプールとはまた別な独立運動や地下組織活動がある。アッサム州はインドの石油の大部分を産出しているが、その利益が地元に還元されていない不満があるそうで、また文化的にも歴史的にもデリーを中心にした地域とは異なる。本人達は自分達のことをアッサミーと呼んでおり、もともと古いアッサミーやベンガル人などがいるところへ、タイ族の一派が入ってきてアホム王朝を建てた。

  この王朝はイギリスが入ってくるまで続き、アッサミーやベンガル人等と混血して現在のアッサミーになった。今のアッサミーの顔立ちはモンゴロイドではなく日本人の予想するインド系の顔に近い。1983年頃にはバングラデシュやネパールから大量に流入している”外国人”に対するアッサミーの反発に端を発した反政府暴動が起きている。こうした”外国人”は累計数百万人とも言われている。

 ”外国人”問題はマニプールにもあり、トリプラにもバングラデシュの少数民族が難民として滞留している。さらにボド族がアッサム州からの分離・自治拡大を要求して(インドからの分離独立を要求するさらに過激なボド族組織もある)爆弾テロ、特に列車爆破テロを行っている。列車爆破テロはナガの独立運動派によるものもある。1997年の旅行前にもボド族によって列車が爆破され、1998年にはパイプラインが爆破された。

 東北インドとインド本土とは西ベンガル州東北部の狭隘なシリグリ回廊で結ばれており、ここからアッサムへ抜けるラインが生命線になっている。従来はここを列車で通ってアッサムへ入ったが、現在では列車爆破テロの多発から、日本の外務省では、注意喚起で列車でなく飛行機でアッサム州へ入るよう呼びかけている。インド・パキスタン分離独立以前は、今のバングラデシュを通る道がアッサムへ抜ける通常ルートだった。

 もうあたりは真っ暗で、村の家々にはランプがともり、ちかちかと揺れて、ほの暗い橙色の光が暖かい。外のかまどに火をくべている姿も見かける。やがてバスは国道を離れ、山道に入った。

 8時過ぎにチョキホラ着。ハーブガーデンと書かれた門の前にバスが止まってクラクションを鳴らした。ランプを片手に人が出てきて、何でもあまり遅くなったので、もう来ないのかと思い村人は帰ってしまった、という。この日の晩は、ムクルライ氏が村でのホームステイを準備してくれていたのだ。さっそくそれぞれの家へ連絡が行き、1軒に二人づつ泊まることになる。平地が広がり遠くに山の見える風景だが、暗くてよくわからない。ホタルが飛んでいた。

 女性牧師と一緒にホストファミリー宅へおじゃまする。家族もいったん眠りについた後だったようで、皆疲れており簡単に雑談してすぐに寝た。

4.1 カルビアンロン県

11月16日(日)

 朝起きると部屋も庭もきれいに掃き清められており、庭には箒の筋がついていた。他の家でも、朝早くから歌いながらお掃除していたそうだ。土間とはいえしっくいを塗ったきれいな家で、窓には竹で編んだ雨戸が外にスライド形式で取り付けられている。庭にはつるべ井戸、竹で囲った露天のトイレと風呂場があり(風呂場は竹の床で高床式)、牛や山羊のいる家畜小屋がある。山羊の小屋は獣から守るため高床式。電気は各戸までは通じていないが、教会には通じていた。

 ここはアッサム州カルビアンロン県チョキホラにあるカルビ(Karbi)族のキリランソー村。人口2500人で、カルビ族はお爺さんの世代(約100年前)にチベットからやってきた。この村でマニ車を見かけた、という人もいる。今ではほぼ全員がクリスチャン。顔立ちはモンゴル系だが濃い感じ。数年前によその部族の襲撃があって紛争になった、以来治安は悪くなった、とホストファミリーのお父さんが言う。

 外に出てみると、あちこちで山羊が繋がれ草を食んでいる。樹木はシュロや竹など丈の高い植物が多く、下草も生い茂り、中位の背丈の多かったナガランド・マニプールの広葉樹林帯とは異なる風景だ。竹垣に囲われた広い庭のある家が道路添いに隣接して続き、庭にはビターナッツ、ココナツ、バナナの木が植わる。家の後ろは背の高い植物のジャングルになっている。村はずれに来ると田圃が広がるが、田圃も竹垣で囲ってあった。牛避けだという。実り具合に差があるのは、植え付け時期をずらしたからだ、とのこと。収穫にはまだだった。

 普段は5時起き、6時朝食の生活というが、この日は7時頃朝食にしてくれた。鳥のカレー、じゃがいものカレー、魚の揚げ物、いんげんの煮物、からし菜の煮物とご飯が出た。お母さんが湧かしたお湯に紅茶を入れ、さらに湧かした牛乳とすりおろしたショウガ、クローブを入れてアッサムティーを作ってくれる。

 食後に家の娘さんと村を散歩する。近くにカトリックの教会と学校があるが、彼女は3キロ先のチョキホラの街の学校に自転車で通い、土日に家に戻ってくるという。兄の一人はアッサム州の中心都市ゴーハティの学校におり、もう一人はディプーの学校に行っている。地元の学校はアッサム語で教育するが、ディプーの学校は英語で教育するからだそうだ。

 また朝食時に遊びに来ていた村人の中にナガのショールをはおった男性がいたので、このあたりの民族について尋ねてみると、カルビ族以外にアディパシ(先住民族)も多いと言い、サリー姿の二人連れをさして彼らもアディパシだという。その他レングマナガ、アッサミーがいる。カルビ族女性の正装は、サリーの下に着るシャツに似た上衣と巻スカートを着た上に、一枚の布を左腕の下に通し右肩の上で結んで着る。この布の模様が人それぞれ異なり鮮やかで、かつては手織だったそうだが今では買ってくる。

 カルビ族は Hill tribe(山岳民族)だ、と言っていた。近くにそびえる山はアンロン山といい、このあたりの象徴的な山らしく、誇らしげに呼んでいた。お父さんはカルビアンロン山と呼んでいた。しかし他民族はどう呼んでいるのだろう、と少々気にもなる。

後の山がカルビアンロン山

 8時を回ると暑くなってきて、金属音のセミが鳴き始めた。はじめ電気系統の施設でもあるのかとあたりを見回したほど、無機質な機械音的声で鳴く。女の子は、私たち外国人を泊めるのは初めて、だからうまくやれない、と気にしていた。しかし帰りがけには果物のおみやげをたくさん用意してくれ、特にお父さんがわざわざ竹で編んでくれたみかんを入れるためのひょうたん型の篭は、農大の先生が一目見るなり「これはすばらしい」と珍重していた(そこで彼に渡してきた)。(右上写真は家畜小屋)

 9時過ぎに歩いて昨日のハーブガーデンへ行く。ここはムクルライ氏の務めるNGO、CASAのオフィスになっている。

 道みち、道路脇のところどころの細いパイプから湧き水が流れ出ており、元指導員がそれを指して「この水、あの山からパイプで引いているんだって。すごい潅漑設備だよなあ」と感心していた。主管は道路の下を通っているらしい。

 農大の先生が、アッサムは民族紛争が多く、ここらではバングラデシュあたりから貧しいベンガル人が土地を求めて入ってきている、ビハール人も労働者として連れてこられてそのまま居座っている、そういう人達がカルビ族の家に火をつけたりして紛争になっている、と解説してくれる。独立運動のためこの間も列車爆破等があったり政情不安定で去年まで入境許可がいった、それでなかなか入れなかった、30年待ってやっとここに来られたのだ、という。

 ガイドの話では、アッサムの入境許可がいらなくなったのは、外国資本を入れたいからだそうだ。こうした民族紛争の話は、アジア学院のバングラデシュの研修生からも聞いたことがある。彼女もモンゴル系の山岳民族で、10年前当時さかんに平地からベンガル人が土地を求めて入植してくるようになり、先住民族の彼女たちの村に火をつけて焼き払ったりするので紛争になっている、と言っていた。    

  たまたま両例ともベンガル人が侵攻側だが、ベンガル人だけでなくこうした話はアメリカ大陸のメイフラワー号から、北海道のアイヌと日本人、チベットの漢民族、と古今東西枚挙にいとまない。要するに人口の増えた民族が恒常的な飢えに見舞われるようになって移動を開始し、人口過疎な土地に住む民族から力ずくで土地を奪ってゆく物語だ。奪う側も喰い詰めだから必死で、それなりの物語と歴史を背負ってやってくる。大体カルビの人達がさらにアディパシと呼ぶ人々がいる、ということ自体入り組んだ話だ。

 10時になり、ムクルライさんがここのプロジェクトの説明を始めた。彼は1970年代にアジア学院で学んだ古い卒業生で、もともとバプテスト教会所属だったが、1986年に CASA (Church's Auxiliry for Social Action) が東インドでの活動を開始して以来ここに加わって働いており、現在はCASAアッサム支部の支部長を務めている。CASAは全インドを対象にした大型のNGOで、キリスト教精神に基づき、平和、公正、平等をモットーに活動を行っている。彼はカルビ族の村を対象に開発プロジェクトを開始し、人口調整、麻薬問題の解決、自給自足をめざすプロジェクトを22カ村を対象に行っている。今でも月に3、4日はここへ来て活動しているという。

 具体的にはまず副収入の手段となるよう、また環境保護にも役立てようと苗木を育てており、ビターナッツやココナツ等の苗を4万本以上配賦した。医療については、村の診療所の保健婦のために研修制度を設けたり、持続可能な開発を目指しているので薬草を奨励し、自分達で使いこなせるよう苗を分けたり、草の種類を教えて森で調達できるように図っている。女性が経済的に自立できるようにデザイン染めも始め、今では1日に4〜500ルピー(額が多いが、1ヶ月の間違いか)儲ける人もいる。農村には仕事が少ないので、高卒を対象に木工や藤椅子作りの訓練を行ったり、レミという草の繊維50%綿50%のシャツの生産も開始した。今まではレモングラスというハーブを100キロ80パイサ(ふつうは50パイサ)で農民から買い、絞ったオイルを1キロ170ルピー(100キロと1キロは単位のメモを間違えた可能性あり、あくまで参考)で売り、村の主産業にしていたが(100キロから数十グラム採れる)、レモングラスは木を伐採し環境によくないので、将来的にはレミにシフトしてゆくつもりだ、と言った。

 元指導員が日本でも戦後草の繊維の利用を試みたが、繊維が切れやすい、なぜかというと水に弱い、それで失敗したが大丈夫か、と尋ねた。ムクルライ氏は、きっちり45日後に刈る、それ以上大きくなると水に弱くてだめだが、45日後に刈れば大丈夫と答えた。レミは1株で6回収穫可能、1ヘクタールあたり1400キロとれ14キロの繊維になると言っていた(この単位も確認の要あり、あくまで参考)。

 稲はここらでずっと栽培されているのかとの質問には、山に稲はよくないと言い、「ここらは野生の象が出没し、5頭で1エーカーをだめにしてしまう、実に見事なharvestだ」と言って皆を笑わせ、200年前までは人がいなかったことろに、人口増加によって人間が入ってきたのだから我々のほうが侵入者だ、と言った。

 同室の牧師がマーケティングについて質問すると、商人にまかせると仲買料を取られる、そこで州政府も乗りだしているがうまくゆかない、マーケティングは大事な問題だ、と答え、彼女も日本でも大きく取られると言っていた。

 この後オフィスの隣にある薬草園を見学。様々な草や木を”ジャングル”から集めてきており、これは肺炎に効く、これは婦人病、これはどこそこの痛み、等々解説してくれる。アッサムには25000種のハーブが自生しているそうだ。

 小さい畑もあり、竹の皮で作った日除けで苗を覆っていた。竹の皮の日除けは、この後も各地で見かけたが、やはりアッサムはナガランド等に比べ日差しが強く暑い。

 お昼の準備ができるまで時間があったので、高床式の櫓(やぐら)を見に行く。レモングラスのオイルを絞る装置で、薪をくべてレモングラスを煮出し、水分と油分に分離していた。作業中の村人の一人が、かつてはこのオイルは300ルピーで売れたが今は180ルピーにしかならず、安くてお金にならなくなった、環境のこともあってレミに変えている、という。またベンガル人が増えているそうだけども、と聞いてみると「町にいる、商人に多い、我々tribal people は金儲けが下手だ、だから負けないように経済を学んでいるんだ」という。

 この値段低下の話を後で同室の牧師にすると、「実際はそんなところかもね」と経験のある彼女。彼に限らず、プロジェクトを見せるときに研修生は都合の悪い話は言わない、と言った。「ただムクルライさんは非常に組織力があるわね。それはとても優れた点ね。ナガの研修生はわりと一人で自分のプロジェクトをめいめいやっている、て感じだけど、アーリア系の人はオープン、というか組織力があるみたい。ナガの人は内向きというか、ナガのことしか言わない感じがあるけど、ムクルライさんは理論的ね」そうした傾向は確かにあるだろう。またナガランドの人が細々とやっている感が強いのは、NGOにしても一般企業社会でも、外からの資本導入による大型プロジェクトそのものが行えない状況にあることも一因としてあるのではないか。ナガランドではインド国内国外を問わず、外部のNGOから支援を受けたところは、見聞きした範囲では無かった。

 11時半からCASAの地元スタッフが作ってくれたカレー料理で昼食をとった後、12時半にカルビ族との合同礼拝に出席するためロンドン教会(写真上)に向かった。

 この日は日曜日、小学校の校庭くらいもある庭に大勢村人が集まって円陣を組んでいる。握手ぜめにあいつつ、前のほうに用意された席へ進む。子供達が黒人霊歌を、女性達が賛美歌を歌って歓迎してくれる。この後、元アジア学院院長で牧師のアメリカ人女性が、ミッショナリーの道に進んだ理由を人生を振り返りながら語った。この話の内容に感動している人も多かったが、さすがに日差しが暑く、ばてる人も多かった。カルビ族の人達も日陰に避難したり黒いこうもりを広げていた。

 合同礼拝の後、キリランソー村を後にする。バスにはチョキホラまで出る村人や子供達が大勢同乗してきた。

 昨日の道を戻って、チョキホラの街に3時頃到着、地元のチャイ屋で一服。国道沿いにジュートを計るための巨大な天秤が置かれている。分銅一つの重さが60キロ、冗談に座ってみたくなるが、農大の先生の話では、そうやってガターンとやって怪我をする人が多いそうだ。

 この後、バスで一路国立野生動物保護区(サンクチュアリ)のあるガジランガへ。アッサムに入ると道がよくなる、との話だったが、確かに今までよりは良くなりバスのスピードも出る。ローカルバスも数多く通っている。ただ道路脇につっこんでいるタンクローリー、横転しているバス、正面衝突したまま放置されているバスとトラック、等々を結構見かけた。ローカルバスで旅をする場合は、そういう点で気をつけたほうがよさそうで、怪我に備えた保険は必須、という気がした。

 あたりの景色は、茶畑が見られるようになり、お茶の木の間には背の高い枝の広がる木が等間隔に植えられ、日陰を提供している。田圃も多く、平地のため一枚が大きい。

  うす緑の長粒種の稲と、葉の緑が濃く籾も黒いもち米が植わっている。家々はまわりに牛避けの柵をめぐらし、周囲に庭と池と林を備えた、ベンガルで見慣れた農村風景に近くなってきた。庭では米を打ったり、牛を二頭稲穂の上を歩かせたりして脱穀している。イスラム教徒もちらほら見かけるようになった。

 右手に巨大な工場が見えてきたが、これが石油精製所。ゲート前はじぐざぐにドラム缶を並べて車の直進を阻み、軍隊も駐留して周囲の警戒も厳しい。こうした軍隊の駐留は、国道沿いではところどころで見かけた。数年前アッサムの分離独立を唱える勢力との間で内戦があり、政府が神経質になっている、とガイド。

 アッサムで見たガソリンスタンドはすべてアッサムオイルだった。それが、カルカッタに来るとインディアンオイルに変わっていた。

橋や村の入り口には、遮断機をよくみかける

 5時には暗くなり、5時半過ぎにガジランガホテル着。ホストファミリーのお父さんの話では、アッサムティーならTATAブランドがいい、との話だったが、このホテルの回りはTATAの茶園。

 部屋についてすぐに停電になるが、自家発電装置があるのですぐにあかりがともった。夕食はなかなか凝った味付けのアッサム料理で、ホテルの売店に飾られた赤や緑の精巧な刺繍布が美しく、洗練された文化を感じる。

チョキホラへ行く途中乗ってきた子供たち

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Last updated:07/02/15 .  First uploaded:01/12/03 .  ©1999-2010 XIER, a division of xial. All rights reserved.