この日の夕食は本格的なアッサム料理レストランへ行こう、ということになり、皆大喜び。大きな丸い金属製のお盆に10個以上小鉢が並び、各種カレー、ダール、サラダ、デザート類が盛りつけられている。中央にはインド米の盛り。この店のカレーは多少酢を効かせ各種香辛料を調合しており、繊細な味付けで、手作りとは異なるプロの味のおいしさだ。しかし年寄り連の中には、「インドの料理は日本人の口にはあわね」と途中であきらめる人もいた。
隣ではお爺さん達が戦争の話をしている。写真家の人は満州生まれでシベリアへ行っていたという。「あんたシベリア行っとったんか」と戦友会の人。「あそこも大変だったろう」「年寄りはみんな死んじまったよ」とケロケロと元気な写真家。戦友会の人は6年間戦争に行っていたという。「この人5年生だから。5年生、ていやあ神様だんべ。軍隊、ちゅうのは上下関係の厳しいとこだから。少年兵は突撃に駆り出されてみーんな死んじまうだんべ」米農家の老人も軍隊、ちゅうのは大変なところだ、と訥々としゃべっており、そのうち殴られたどうしたのという話になっていった。
ところでこのとき出されたビールはよく冷えていた。ガジランガやゴーハティのホテルのビールも冷えていた。最近はインドでも冷やして出すらしい。マニプールやナガランドでは、研修生手作りの夕食が多くビールは出なかったが、男の子達は夜部屋で研修生達とお酒を飲んでいたそうで、彼らも結構よく飲む、と言っていた。
11月19日(水)
朝、ホテル脇のプラマプトラ河に下りてみる。斜面には漁村がへばりつき、子供らが裸足で走り回る。川べりには漁網が干され、簡単な小屋掛けのある小型船が幾艘も岸辺に浮かぶ。川面に、ぬめっとした海蛇のような生物が弧を描くようにして浮かび、するりと消えた。何回かその動作が繰り返され、その背を丸めた浮沈は鯨が水面に出てきたところに似るが、動きがはるかに緩慢で、何か不思議な生物を見る思いだ。