東 地 中 海 ク ル ー ズ
ドブロヴニク(クロアチア)

2014年 4月

 東地中海クルーズ旅行7日目。バルカン半島に沿ってアドリア海を進み、ボスニア・ヘルツエゴビナに囲まれたクロアチアの飛び地、ドブロヴニクへ。


グルージュ湾

 アドリア海の真珠と呼ばれるドブロヴニクへ、海から近づく。岩礁、小島の多い景観が、なんとなく松島を連想させる。雲がいい感じ。





 強風により入港が遅れ、11時半入港予定が12時となった。
 船は新市街(下)の港に入るため、古い建物の残る旧市街へはバスで移動。



スルジ山

 旧市街に着いたら、まず町の北にあるスルジ山に上って町を一望。現在スルジ山へはロープウェーで登ることができる。このロープウェーは1991年のユーゴ内戦で破壊されたが、2010年に復旧した。
 スルジ山山頂から見た南の旧市街(左下)と北西の新市街・グルージュ港方向(右下) この程度の丘でも斜面が岩だらけ。標高412mで森林限界超えている?


左:ナポレオンが贈ったという白い十字架

下:山頂にある要塞 上に国旗が翻っている
この中に独立戦争記念館があるようだが今回は寄らず





 ドブロヴニクの北にはバルカン半島の山岳地帯が広がっている。左上:東方向  右上:北方向
 ここも岩山が多い。ギリシャオリンピア周辺、トルコイズミール周辺も同様に岩山ばかりで、さらに山がハゲで森林に覆われていない。ちなみに日本の山は岩山がほとんどなく、ロッククライミングの技術が必要な山は剣とせいぜい槍と言われている(あとは必ず歩いて登れる道がある)。ヨーロッパは低山でも岩山が多く、ロッククライミングが発達した。
 下:斜面に立つ家々



旧市街

 町は1991年のユーゴ内戦で傷ついたが現在は復旧されている。一説として、ドブロヴニクを包囲攻撃したユーゴ軍側と欧州企業が戦後の観光業のためどこは破壊しないなどの密約を結んでいたとの話があると聞いた。


 城壁に囲まれた町。ガイドによれば、現在、旧市街に住む住民の数は400人程度、家賃も高く補修も大変なので新市街に住む人が増えているという。京都などの町屋のようですね。北のプジャ門から入る。




 街中散策。坂の多い街。尾道同様、平地の少ない海辺の町は坂町になる。
 1667年大地震で崩壊したというが、地震のある地に石とレンガで家を建てるのは怖くないだろうか・・・。地震国イランもレンガ造りで、地震のたびに崩壊している。おそらく木がないためだと思うが。


左上:坂道途中にあったいい感じのレストラン
右上下:中心街のプラツァ通り
観光客のいる昼間は賑わっているが、客が帰ったあとの夕方以降は急に人通りが絶えそうではある





右上:フランシスコ会修道院(だったと思う)修復中
下:オノフリオ大噴水 奥はフランシスコ会修道院
右:修道院内


このほか、教会のため撮影しなかったが聖母被昇天大聖堂にも寄り、中の宝物館を見学させてもらうことができた。中にラファエロ作とされる絵画や、聖人の頭蓋骨が入る器などがある。



左上:聖ヴラホ教会 聖ヴラホは町の守護聖人
右上:旧港
左:西のピレ門 跳ね橋になっている
下:スルジ山を望む 白十字架が見える




出港

 17時頃出港。このあたり、日の出6時過ぎ、日の入り19時半頃で遅くまで明るい。トルコでは日の出が7時近く日の入りも20時近くで、日本の感覚でいえば1時間半くらい手前に戻したほうがいい感じだった。それにしても太陽の出ている時間帯が長い。緯度が高いためだろうが、春分から一ヶ月も経っていない。この調子だと夏は、逆に冬至はどうなるのだろう。













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