東 地 中 海 ク ル ー ズ ベ ネ チ ア |
||
2014年 4月 東地中海クルーズ旅行最終日。ドブロヴニクからクロアチア、スロベニア沿岸を進みアドリア海最奥のベネチアへ。 ベネチア入港 左下:海中に浅瀬が見える 右下:船の航行箇所を示す杭が連続していた 数多くチビ船が行き交う運河 8時半入港予定だったが、 サンマルコ広場 上:ちょうど大学の卒業式とのことで椅子を並べていた この日は卒業式のため人出が異常に多かった サンマルコ寺院 教会なので中は撮影していない。翌朝、イースター前の特別ミサがありパレードもあるというので行ってみた。 手に手に棕櫚の葉を持った人たちが歌いながら歩いている。 ドゥカーレ宮殿 共和国だったベネチア総督の住居兼執務室。内部は撮影不可の部屋がほとんどだが、装飾過多のいかにもヨーロッパのお城。 左上:左がドゥカーレ宮殿西側(鐘楼の先あたりから) 左の塔が聖マルコの象徴翼のあるライオン、右の塔がかつての町の守護神聖テオドロス(詳しくはガイドブックなどによく載っていますが) 左と下は、黄金階段(ここは撮影してもよいらしく、みな撮っていた) 囚人はこの窓の景色をながめ、ため息をついたというが・・・(左下) 右下は撮影可の部屋のシャンデリア 上は中庭あたりだったと思う(うろ覚え) なお、宮殿の入場券でサンマルコ広場西側のコレール博物館にも入ることができる。2階はベネチアの歴史や生活を解説した部屋から誰某コレクションのギリシャその他遺跡の出土品までかなりの量の展示物がある。 鐘楼 サンマルコ広場にある高さ96.8mの鐘撞き堂。昼間は混んでいる。ガイドさんによれは5時以降のほうがすいているとの話なので、夕方登ってみた。 左上:西:サンマルコ広場 あちこち回っているうちに卒業式は終了したようだ(ずいぶん短時間で終了だ、来賓の長々挨拶はないらしい)。その後街中のあちこちで、花束抱えた学生を大勢の友人家族親戚らが囲み歌いながら歩いてくる一団に出会った。 上:東:ドゥカーレ宮殿とその先 左下:北東:サンマルコ寺院 右下:北方向 上:西方向の家並み 塔の最上階には巨大な鐘がある。ここで鳴ったらどうしようと思うほど大きい。でもこの日は鳴らなかったので、今は使われていないのかと思った。 ベネチア町歩き 下:サンマルコ広場近くの海沿いのカフェ 右下:サンマルコ広場西にあるブランド通り ブランド通りでブラックアフリカ系黒人たちが偽ブランド品を堂々と(つまり店の前で)売っていた。どういう人がターゲットなのか、日本人中国人あたりかと見ていると、金髪のヨーロッパ系おばさん二人連れが話しかけ品物を見ている。言葉からロシア語?という感じだ。 左:海岸沿いの騎馬像 武田信玄などの騎馬銅像にそっくりだが、まあ明治の日本がこの手の像をまねたわけで リアルト橋から魚市場方向へ 右上:西洋風景絵画にいかにもありそうな景色 左下:ちょっと豪華なゴンドラ 適当に路地をうろつきます 左上:サンジャコモ・リアルト教会(町一番古いとの話もある) 左上:おそらく奥の塔がベニスの斜塔 まだまだうろつきます 右下:藤がさかんに咲いていた 藤はバーリ、ギリシャでもよく見かけた。日本より1ヶ月ほど気候が早い感じ 右上:水害よけで敷居を高く上げている店や家をときどき見かけた ウォールストリートジャーナルのサイトによれば、ベネチアへの大型クルーズ船の乗り入れについては、地元からの批判の声も多いらしい。燃料油その他による汚染、”古代生物マストドン”のような大型船による波が建物基礎に与えるダメージや小型船に与える脅威などが批判されている。 以上、ざっくりまとめてみたが、確かに東京湾横浜港なら周囲は工業地帯などだが、海岸すれすれまで住宅街のベネチアの場合、巨大な船からしょっちゅう見下ろされるのは気分のよいものではないかもしれない。運河の太鼓橋から手を振る人も見たが、ストレスを感じている人もいるのだろう。小船の航行も多く、住民の足でもあるだろうから、規制は必要になってくる。 初めてヨーロッパに行ったが、もっと圧倒されるなど何かあるかと思ったが、割と普通だった。TVその他で見慣れて、既視感が強いのかもしれない。年齢的にももう、体験することがすべて新鮮で驚きに満ちている、ということがなくなったのかもしれない。また個人旅行なら、自分で計画し目的地にたどりつくまでいろいろすったもんだあるので印象も強く残るが、今回は知人のお供で楽な団体旅行だったということもあるだろう。 基本的にヨーロッパはインフラがしっかりしているので(イタリア式などと言われても)、旅行しやすい気がする。ドブロヴニク、ベネチア、アルベロベッロなど、確かにきれいな町で、ヨーロッパの大方がそうだろうと予想する。 船旅体験や、イタリアギリシャトルコクロアチアの旅そのものは楽しかった。ただ、船のせいではなくクルーズそのものについて感じたことなのだが、個人的には1週間も乗るとやはり飽きると思った。 船に乗っている人たちは、中流の常識的で感じのいい人たちが多かった。ベネチア出港のとき、サンマルコ広場だのを見ようとみなデッキに群がるが、結構順番に場所を譲り合う。私も自分は背丈があるので背の低いフランス婆さんに前を譲ると、しばらくして隣の若いイタリア人の女の子が前に手招きして入れてくれようとする。このへん、けっこう我勝ちなアジア(特に東アジア)とちょっと異なる。 「船の紹介」ページで書いた、騒ぐ子供を見ない件で興味深いケースを目にした。夕食のとき、隣のテーブルで小さい(4,5歳?)の女の子がホウレンソウを食べたがらず、イヤイヤしていた。その様子が表情豊かで、顔をしかめてみせたり、わざとらしくほかの食べ物を手にとってみせたり、ありとあらゆる表現を駆使して自分の意思を伝えている。そして感心なのは母親や父親が、その様子に首を振って見せたりしかめ面をしてみせたり、きちんと反応しているのだ。おそらく日本の多くの親は、子供のこうしたしぐさに、かえって「何で言うこと聞かないの!」と切れたり「ちゃんと食べなさい!」と頭ごなしに押し付けたり、無視する反応が多いと思う。丁寧に反応する心の余裕がないとでもいうか。日本の子供が泣き喚くのは、無視されるからでは、とこのとき感じた。仕草や言葉のコミュニケーションがとれないから泣き喚いて主張している。 そういえば: プレチオーサはカジュアル船なので、大金持ちは乗ってこない(ヨットクラブは別)。ドレスコードがフォーマルな日も、そう大それたカクテルドレスなどはほぼ見なかった。でも家族でクルーズを楽しめるくらいの余裕はある、いわゆる中流層の人たちだ。世界中でこの階層が一番まっとうな気がする。大金持ちでないから権力はもっていない。みな地道に働いている。一方貧困にあえぎ衣食住に困るわけでもない。いま、世界中で中流層が減り続け、一握りの超大金持ちと大多数の貧困層に二極分解しつつあるという。民主主義を支えているのは中流層だと思うので、これは問題だ。極端に二極分解したら、また昔のような身分制社会、帝政や独裁制に移行してゆくだろう不安がある。 ところでベネチアでの食事はどこもおいしかった。薦められたりガイドブックに載っているような店ならたいていはずれない。ベネチアあたりなら、ぶらついても面白いかもしれない。おそらくギリシャトルコクロアチアも、イタリアの他の都市も、歩けば面白いだろう。 船の紹介 | アルペロペッロ | オリンピア | エフェソス | イスタンブール | 航海日 | ドブロヴニク | ベネチア |
| モンゴル | チベット | ラダック | 東北インド | 中国 | 1999北京 | ミャンマー | 台湾の廟 | 韓国 | 台湾2009 |
| マザーテレサ | シッキム | ハワイ | タイ | クルーズ | アメリカ | ドイツ | キプロス | スイス | イタリア |
| 小笠原 | 四国へんろ | 国内 | 島 | 震災 | 雑穀栽培 | 林業 | 就農 | 銭湯記 |
| ミャンマー歌手 |
北京放送 |