ド イ ツ 旅 行 4 ライプツィヒ−ドレスデン |
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2016年春の記録 ライプツィヒ、ドレスデン、ケムニッツはドイツ中央の東寄りに位置する。ここも旧東独領内。 今回の旅行で、北ドイツを回った前半までは、あまり中国人をみかけなかった。ハンブルクで若干、ツアー客でなく商用旅行者を見た程度。添乗員に聞くと、中国人はフランクフルト止まりだという。確かに、このあとローテンブルクや特にノイスバンシュタイン城に行ったときは、大勢の中国人を見かけた。ローテンブルクには韓国人ツアー客もいた。 もともとハンブルクやライプティヒなど北ドイツは観光客が少ないところ。 ライプツィヒは商業都市、文学やバッハなど音楽でも有名な学芸都市でもある。 左上:トーマス教会前のバッハ像 トーマス教会は、バッハが晩年までオルガン奏者兼聖歌隊指揮者として勤めていた。日本人にはバッハ好きが多いという。自分の周りにも、まず父がバッハ好きだったし、知人にもバッハ研究会で合唱でバッハを歌っている人がいたり、バッハのレコードやCDを300枚以上持っている人がいたりする。右上と下は教会内部 左上:トーマス教会全景 右上:旧市庁舎 上、左下:メードラー・パッサージュ街 マルクト広場近くにある高級ブランド店などが並ぶアーケード街 左上:奥が有名な新ゲヴァント劇場 右上:メルケル首相の出たライプツィヒ大学 滝廉太郎もこの大学で音楽を学んだという 左下:ライプティヒ郊外のクラインガルテン 上:風車下のぶどう畑 南部は丘陵地帯になってくる。ドレスデンもケムニッツも、丘から下りた平野に広がる町 左:ドレスデン郊外のクラインガルテン ドレスデンはザクセン王国の首都、第二次世界大戦の空爆で徹底的に破壊された。木造建築が火災旋風を起こし大災害になったのは日本の東京大空襲と同様。
左上:ゼンパーオペラハウス 1985年再建 右上:大聖堂とドレスデン城 上:ドレスデン城の外壁 確か黒い部分が空襲で焼け残った元の材を使用した部分だったと思う 左上:君主の行進 マイセン焼きだったため、空襲の際の高温に耐えほぼオリジナルのまま残った
右上:ケムニッツへの道 東独時代から化学工場で有名な町 右下:地元の教会 手前にレンギョウのような花が咲いている 左上:ここにもクラインガルテン 左下:カラフルな工場の煙突 右下:墓地 左:カエルに注意の交通標識 南部に来ると丘陵地帯になる。それにしても、アウトバーンにはほとんどトンネルがない(どこかで1箇所見た記憶あり)。道路脇の切通しも、斜面はゆるやかで法面をコンクリで固めたりしていない。おそらく土砂災害も少ないだろう。 左上:牧草地の丘に建つ狩猟台と、牧草地に出てきた鹿(右上:右端にいる) カッセル | ハンブルグ | ベルリン | ドレスデン | ローテンブルク | ノイスバンシュタイン城 |
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