1時頃ダイヤモンドハーバーを出て一旦カルカッタに戻り、サダルストリートに宿を取るというインド旅行中の男の子を下ろして、カルカッタ空港へ向かう。ガイド氏は途中工場の続く一帯を指さし、このあたりに中国人街があり、この地区の工場はすべて中国人の経営だと解説した。またカリフラワー畑の続く一帯では、市のプロジェクトでカルカッタのゴミをここに持ってきて肥料にしている、という。「缶やビニールが見えるでしょう」どうやら分別していないらしい。しかしこのおかげで市内のゴミの山が減ったようだ。ナス、トマト、瓜、ジャガイモ等おなじみの野菜、根菜類が栽培されている。水牛で耕作している光景も目にしたが、年寄り連の話では、水牛よりも牛の方が力が強いんだ、耕作には牛のほうがいいという。
3時半、空港そばのアショカホテルで買い物がてら休憩。このとき東北インドの
under grounds
の話になり、麻薬やバックにつく外国の存在等の話が出たときに、元指導員が「しかしなんですね、何だか薄気味悪いところですねえ」と言っていたのが印象的だ。ナガやクキの人々は素朴で温かく、しかも親日的で感じの良いところだ。入ることさえできれば、ファンになったり虜になる人も多いだろうと思う。しかし現実面では、中国、ビルマ、イスラムのバングラデシュに挟まれ、インド本土とも確執のある、カシミール同様南アジアのバルカン半島的存在、という気がしなくもない。今後も現地の人々の意志とは関わりなく、回りから翻弄され続けるのだろう。
5時頃空港に到着。カルカッタ空港も1996年に改装され、すっかりきれいになった。その分空港税もあがり、以前は80ルピーくらいだったのが今回なんと750ルピーもした。結構日本人も多く、元気な若者グループやカップルがいる一方、一人旅らしいサリー姿の、なぜかキティーちゃんのバックを持った能面のように無表情な日本女性もいて気になった。海外出張らしいインド人ビジンスマンは、家族や会社の同僚に囲まれ、年取った母親の前にひざまずき、足先に触れた手を自分の額にあてる動作を2回繰り返した。その姿に古い文化や躾、けじめを感じた。ここでジャヤスリさんやチャコ氏ら研修生、そしてずっと一緒に回ってくれたガイドともお別れし、7時半の便に搭乗、バンコク経由で翌朝成田に到着した。
写真:インパール盆地は「写真家」氏撮影
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