東北インド(マニプール・ナガランド・アッサム)
カルカッタ旅行記
  (1997年)

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5.西ベンガル州


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カルカッタミドナプール県ダイヤモンドハーバー

5.3 ダイヤモンドハーバー

11月21日(金)

 この日も5時半に起きて街を歩く。大通りに出ると、歩道に何台かリキシャが置かれ、柄と車輪の間にリキシャワーラーが横になって寝ていた。彼らはまだ路上生活者なのだ。街が発展する一方、取り残されてゆく人々の心が気になる。

 地元のパン屋でパンを買い(カルカッタのパンはおいしいと評判)、別の店でベンガルスイートを買うと、どちらの店でも真新しい手提げのビニール袋に入れてくれた。ゴミ拾いの人が集めてきた袋を再使用していた10年前がうそのようだ。屋台でフィルムも買うが、ちなみにフィルムは、カルカッタでもコヒマでもアッサムでもなぜかコニカが圧倒的に多く、次がフジ、そのまた次がコダックの順に売られていた。コニカはタージマハールのプリントされた、インドバージョンのきれいな包装。

 裏道を抜けてBBDバグへ向かう途中、ついにヤギを見かけた。首にカランカラン鳴るベルをつけた7、8頭のヤギが、路地裏から男性に連れられて出てきた。メイダン公園あたりで放牧するらしい。この通りには他にも放し飼いのヤギや犬がいたが、車を避けてか皆隅のほうにかたまっている。もう道路の真ん中で堂々と寝たりはしてない。

 ニューマーケットの南で開かれている朝市を見物。垂直に立てた包丁に魚を押し当てるようにしてぶつ切りにしてゆく様子は、日本の農家で鎌の刃を垂直に立てて足で抑え、芋類を押し当てながら切るようすにそっくりだった。

 朝食後、シンハロイさんのプロジェクトの見学に向かう。高級住宅街やカーリガート寺院の脇を抜けて一路ダイヤモンドハーバーへ。一行の女性の一人が言うには、昨日マザーハウスを訪ねた際、外に小さい女の子がいて、妹が病気だ、ミルクが欲しい、というのでその少女のいう店に行ったら250ルピーした、高いわよねえ、という。「えー、10年前はその辺のミルクスタンドで2〜3ルピーでしたよ。今だって10ルピーもしないんじゃないの」と言うと、「やっぱりねえ、店とつるんでるのかな、てあたしも思ったのよ」そして今朝もマザーハウスに行ったらやっぱり少女はそこにいて、妹も一緒でピンピンしていた、「昨日はもうかってよかったわね」て言ってやったらヘヘヘ、と笑っていたそうだ。「そのお店の娘かしらね」

 10時半にダイヤモンドハーバーに到着。周囲には、銀細工の店が多い。少し歩いてシンハロイさんのプロジェクトを行っている建物へゆく。入り口の部屋でクッキーやベンガルスイート、椰子の実ジュースをふるまってくれつつ、プロジュクトについての説明が始まった。彼女はアジア学院での研修中に、研修の送り出し団体でもあった勤め先のNGOが消滅してしまい、帰国を目前に失業ということになってしまった。しかし足利銀行国際交流財団の助成金を活用してAVILASH(希望)という名のグループを設立、農村女性のための活動を開始した。設立当初は食品加工を行って女性の収入向上を計り結構はやっていたのだが、保存に問題があってゆきづまった。そこで1990年、皆で少しづつ出資しあってハンディクラフトに切り替え、カルカッタから講師を呼びバティック(インド更紗)の技術を学び、販売するようになった。今では刺繍とバティック製品を生産し、技術研修コースも設けており、さらにここから120キロ離れたナムナカ村(人口8000人)で家族計画や社会啓蒙活動も行っている。1990年には家族計画等の政府の委託事業を受けたり、職業訓練校としての承認も受け、ハンディクラフト製品を政府機関で販売できるようになった。NGOがなくなった当時は、アメリカ人の校長先生に相談してだいぶ助けてもらった、と感謝していた。

 マニプールやナガランドでも(州)政府と協力関係にあるNGOがなかったわけではないが、なぜか彼女の活動のほうが発展性があるように感じた。大消費地に近いことも大きいし、複雑な事情がからんでいないのでいい仕事をすればそれに見合った評価がきちんと返ってきやすい状況にあるようだ。

 チャンドラボーズの肖像付きカレンダーの飾られたバティック工房を見学した後、隣のシンハロイさんの自宅で昼食をごちそうになる。ジャヤスリさんやチャコ氏、ビスワル氏も一緒で、「ベンガル人はお米が主食で日本人に似ているでしょ」という。庭の一隅に小さい50センチくらいの塔(下写真)があるので何か聞いてみると、「Lord Siva だ」とチャコ氏。シンハロイさんもクリスチャンのはずだが、日本人のように伝来の宗教と共存している部分があるようだ。

 1時頃ダイヤモンドハーバーを出て一旦カルカッタに戻り、サダルストリートに宿を取るというインド旅行中の男の子を下ろして、カルカッタ空港へ向かう。ガイド氏は途中工場の続く一帯を指さし、このあたりに中国人街があり、この地区の工場はすべて中国人の経営だと解説した。またカリフラワー畑の続く一帯では、市のプロジェクトでカルカッタのゴミをここに持ってきて肥料にしている、という。「缶やビニールが見えるでしょう」どうやら分別していないらしい。しかしこのおかげで市内のゴミの山が減ったようだ。ナス、トマト、瓜、ジャガイモ等おなじみの野菜、根菜類が栽培されている。水牛で耕作している光景も目にしたが、年寄り連の話では、水牛よりも牛の方が力が強いんだ、耕作には牛のほうがいいという。

 3時半、空港そばのアショカホテルで買い物がてら休憩。このとき東北インドの under grounds の話になり、麻薬やバックにつく外国の存在等の話が出たときに、元指導員が「しかしなんですね、何だか薄気味悪いところですねえ」と言っていたのが印象的だ。ナガやクキの人々は素朴で温かく、しかも親日的で感じの良いところだ。入ることさえできれば、ファンになったり虜になる人も多いだろうと思う。しかし現実面では、中国、ビルマ、イスラムのバングラデシュに挟まれ、インド本土とも確執のある、カシミール同様南アジアのバルカン半島的存在、という気がしなくもない。今後も現地の人々の意志とは関わりなく、回りから翻弄され続けるのだろう。

 5時頃空港に到着。カルカッタ空港も1996年に改装され、すっかりきれいになった。その分空港税もあがり、以前は80ルピーくらいだったのが今回なんと750ルピーもした。結構日本人も多く、元気な若者グループやカップルがいる一方、一人旅らしいサリー姿の、なぜかキティーちゃんのバックを持った能面のように無表情な日本女性もいて気になった。海外出張らしいインド人ビジンスマンは、家族や会社の同僚に囲まれ、年取った母親の前にひざまずき、足先に触れた手を自分の額にあてる動作を2回繰り返した。その姿に古い文化や躾、けじめを感じた。ここでジャヤスリさんやチャコ氏ら研修生、そしてずっと一緒に回ってくれたガイドともお別れし、7時半の便に搭乗、バンコク経由で翌朝成田に到着した。

写真:インパール盆地は「写真家」氏撮影

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Last updated:07/02/15 .  First uploaded:01/12/03 .  ©1999-2010 XIER, a division of xial. All rights reserved.