沖永良部島


 新規就農した知人を訪問したついでに、奄美諸島のいくつかの島を回った。佐渡についで大きい島という割には有名でないが、今回偶然訪問して初めて、奄美は沖縄ともまた異なる歴史と文化を持っていることを知った。また沖縄ほど知られていないが、戦後しばらくアメリカの軍制下にあり、昭和28年に本土復帰を果たした地でもある。このあたりは、琉球、薩摩、大和が二重三重に重なり合っている感じだ。さらに知人の話によれば、沖永良部は古事記などを学ぶと必ず、日本の古い物語が残っている島として登場するというし、また与論島には平安時代の古い言葉が残っているという。沖縄ほど中国の影響を受けず、統一勢力を作らなかった分、ヤマト以前の古い文化の色彩を色濃く残しているようで、この南の諸島がけっこう興味深い歴史の地であることを実感した。

 沖永良部島へは鹿児島から36人乗りのエアコミュータのプロペラ機で向かった。ちゃんとスチュワーデスさんも乗っている。船で奄美大島へ行った時、屋久島と奄美大島の間は島がないため揺れる、と聞いたが、空から見ると細かい島がずっと続いていた。有人島も多いようで、高度が低いためよく見ることができる。

ソテツ

 空港に降りたってまず感じるのは、あきらかな植生の違い。ぴかぴか光る野生の里芋のようなクワズイモ、大きな豆科の実がつくオジギソウのような木。巨大なソテツ(写真)は中央に実がつき、開いた口からオレンジ色の種がびっしり見える。バナナやグアバが自生し、ブーゲンビリアの赤い花が咲く。
 沖永良部島は隆起珊瑚礁の島で、海岸から崖が立ちあがり、そのまま台地がゆるやかな起伏で広がり、北部には山は見当たらない。サトウキビ畑と、刈り取ったあとの真っ赤な土がパッチワークのような模様を描いていた。電照菊の栽培もさかん。牛舎もよく見かける。

 宿の食事にはミミガーとニガウリの和え物、豚の煮込みが出た。自動販売機には沖縄のさんぴん茶や、うこん茶、うっちん茶があり、テレビも全国ネットのもの以外に沖縄テレビが入り、コマーシャルはすべて沖縄のもの。やはり沖縄文化圏のように感じる。人々の顔立ちも南方系が多い。

 貸自転車を借りて島の西南部を回る。和泊から知名へ行く途中、格安航空券の看板が多い。沖縄テレビのコマーシャルでも格安航空券のものが多かった。道の海側に畑、逆側は森というかジャングル。


石垣 知名から山側(沖永良部島の西は大山という240メートルの高台になっている。地図では自衛隊マークがついている)に入り、昇竜洞へ。この鍾乳洞は日本でも有数の規模。
このあと大山をぐるっと回る形でサトウキビ畑の中を下城、上城へ。サトウキビを手刈りしている夫婦がいたが、就農した知人の話では今は収穫時期ではないので、風で倒れたものを処分していたのでは、という。集落で意外に子供をよく見かけ、あっちの家に二人、こっちの家に三人と多く、本土の田舎のように老人ばかりで寂しい感じがあまりない。

和泊へ戻る途中、世之主の墓へ寄る。世之主は琉球王の三男だったかだが、琉球の怒りを買い、琉球から許しの船が来たのを逆だと勘違いして妻子と共に自決したという。とってつけたようなコンクリと鉄製の鳥居のある世之主神社もある。このパターンは和泊の南洲神社や与論島のグスク趾も同じで、もともとは鳥居はなかったのではないか。
ここから和泊までは下りなので15分くらいで行く。時間がないので3時間で回ったが、少々強行軍ではあった。(右の写真は飛行場近くの石垣)


フーチャ

フーチャ 沖永良部島は海沿いにごつごつしたガラパゴズ諸島のような海岸線が続く。そうした海岸にフーチャはある。隆起珊瑚が波で洞窟のようにえぐりとられ、さらに洞窟の奥の天井部分がなくなった形状をしており、大波が入りこむと7、80メートルのしぶきをあげ、なかなか壮大な光景だったらしい。しかし塩害が大きかったため、昭和40年代に4つあったフーチャのうち3つを壊し、あまり規模の大きくないものだけを残したそうだ。


ガジュマル

日本一のガジュマルの木
小学校の校庭にある。奄美大島ではガジュマルに精霊キジムナーが住むというが。


牢屋

西郷隆盛の牢小屋あと 西郷隆盛は島津の殿様の怒りにふれ、沖永良部島に流された。伊那港から歩いて和泊へ、島の人が籠を用意しても断ったという。畳2、3畳ほどの格子のみの吹きさらしの小屋で、中にはついたてとトイレ、煮炊き道具のみ。風があれば雨もかかっただろう。読書と島人への講義に時間をあてていたそうだが、体が弱り、見かねた島の有力者が薩摩に願い出て引き取ったそうだ。


古墳

セージマ古墳群 大山のふもと、知名から昇竜洞へ向かう道の途中にある。1700年代に薩摩の風習が入る前の風葬を兼ねた墓葬だという。8−9月にここでお祭りをやったらしい。


航路 船の入航出航時間と港は時刻表どおりではない。奄美諸島の島はどの島も海が荒れたときのために東西両側に港を持っているので、どちらに何時に入航か、必ず当日の朝確認する必要がある。場合によっては、海が荒れていると抜航されることもある。出航何時と書いてあっても、荷物が少ないと早く出ることもあるので、船の到着時間には港にいたほうがよいという。実際、奄美大島で大幅な出航時間の繰り上げにあったことがあるし、沖永良部でも12時入航が当日朝11時40分入航に変わっていた。沖永良部の港は、和泊と伊那の両港。
 沖永良部−与論間を乗船したとき、ニ等寝台の一室には陸上自衛隊様御一行の札がかかっていた。

電照菊 赤土
電照菊の栽培



赤土の畑




このページは2001年の奄美諸島旅行に関するページです

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