長     島

2012年3月          

 岡山県の長島には、ハンセン病の療養所である愛生園と光明園がある。
 昭和5年、長島に全国初のらい病の国立療養所ができる。愛生園のビデオによれば、もともとは悲惨な状況にあったハンセン病患者を助けるために療養所が始まったが、軍国主義の優性思想とあいまって昭和4年より全国で無らい県運動が始まり隔離政策が推進されるようになった。
 明治40年に「らい予防に関する法律」が制定され(適用範囲は浮浪患者のみ)、昭和6年公布の「らい予防法」により完全隔離による根絶策がとられる。このことによる患者の置かれた状況については、聞き取り本や患者自身による手記、本に詳しい。
 戦後昭和28年のらい予防法改正でも隔離政策はそのまま引き継がれた。世界では昭和31年のローマ会議でハンセン病の隔離政策は否定される。
 その後園内の処遇改善や社会状況から「らい予防法」は「死に法」と化しつつあったものの、隔離法は厳然として存在し偏見の原因となっていた。1996年(平成8年)、「らい予防法廃止に関する法律」が成立し隔離政策が廃止された。(『日本らい史』山本俊二 東京大学出版会、『わが八十歳に乾杯』金泰九 牧歌舎ほか)

 ハンセン病は皮膚と神経に症状が出る病気で、手足の欠損などが有名だが、あくまで脳梗塞による麻痺などと同様、後遺症であり病気そのものの症状ではない。
 戦後すぐにアメリカで開発されたプロミンによって、ハンセン病は完全に治る病気となった。プロミン以前と以降とではまったく違う、と語る元患者も多い。
 らい菌は結核菌と同じ種類で人にしか感染しない。感染力は非常に弱く(通常の大人は発症しない)大多数は感染せずに処理して排出するが、一部の人が菌を受け入れてしまう。いまだ培養に成功しておらず謎も多いという。

 『片居からの解放』(島比呂志 社会評論社)などによれば、90%以上が両親からの感染で、祖父母をいれれば100%近くが家族内感染、年齢が低いほど発病率は高く子供で発病した者の89%が0歳で発病、大人になってからはほとんどうつらない。
 免疫力(体力)が弱いと発病しやすく、貧者の病気とも言われた。戦前朝鮮での発病率が高く、植民地病とも言われた。植民地となり栄養状態が悪化したため増えたのだとする。(『生き抜いた証に』(立教大学史学科山田ゼミ 緑陰書房)によれば1955年時点の数字で日本人の有病率0.011%、在日韓国朝鮮人0.11%、韓国総人口に対する有病率2.1%(在日は日本人の10倍、韓国は日本の191倍))。
 平成17年の日本人の発病はゼロ(国内で外国人の発病はあり)、ブラジルなど南米、インド、アフリカではまだ多発している。

 愛生園の職員に、隔離政策は効果があったのか聞いてみたところ、ドイツなどではあったようだ、しかし社会全体の栄養状態の改善のほうが圧倒的に効果として大きかった、日本で発症が激減したのも戦後豊かになり栄養状態が良くなって免疫力がついたためだと言っていた。ということは今後日本社会が貧困化すると再び発症者が増える可能性がある、ということになる。

長島への道



患者から聞き取った話の中に、邑久駅でお召し列車(患者は一般客から隔離され貨車で送られた)を下りると、延々歩いた話がときどき出てくる(通常は車だったようだ)。
上:邑久駅から虫明への道 左上:大土井の先 右上:庄田付近  里山と川沿いの田畑、人家が入り組む風景

右下:中倉、下寺あたりで、杉板の表面をあぶり炭化処理している家を多く見かけた。防虫のためで、大工がバーナーで炙って焼くという。





上:虫明の集落  下:虫明港 牡蠣の養殖がさかん 左下はその顕彰碑





左上:養殖に使うのか大量の貝殻   右上:瀬溝港 かつては瀬溝から長島へ船で渡った
左下:邑久長島大橋  昭和63年5月に開通 船で渡るか橋でつながるかの心理的な差は大きいという 患者らにとって開通は悲願だった
右下:橋の上から養殖いかだが見える



光明園



愛生園





左上:桟橋のあと かつてこの桟橋から上陸した
右上:慰霊堂  名前を変え家族とは縁を切った人も多かった




上:回春寮
入所者は上陸するとまずこの建物に入り、クレゾールの入った風呂で消毒され、その後約一週間ここで過ごした
入所者の島での生活はまずここから始まった

左:消毒用の風呂桶

右上:建物は戦前の病院の雰囲気をいまなお残している
今ではロケの問い合わせもあるという


 ハンセン病政策については、強制収容、絶対隔離、ワダクトミーなど問題も多かった。光田園長についても批判が多い。ただ、『日本らい史』(山本俊一 東京大学出版会)を読むと、その時代の限界も感じる。当時絶対隔離は世界的な流れだった。
 明治30年(1897)ベルリン第一回国際らい会議でハンセン病は伝染病と認められ(当時遺伝説もあった)患者は必ず隔離するべしと決議された。ノルウェーでは1857年−1860年にらい予防政策を強力に推し進め患者数が急減した(相対隔離方式)。ハワイでは1850−1870年間人口の1割が患者となる大流行、1865年モロカイ島の島民を立ち退かせ患者を強制移住させた。明治41年コッホが日本のらい患者放置は病を蔓延させ危険だと批判、アメリカなど隔離政策の国から何の制裁もない日本へ逃れてくる患者が外交問題になる(明治43年ハワイから来た患者の保護入院費用を日本は米国に請求、アメリカはいったん拒否、その後1万5千円寄付して彼らを熊本の回春院に委託した)。

 ワダクトミー問題について:まず男女居住区を分けるか一緒にするかの議論があった。内縁関係を認めたところ、年10人の子供が生まれ、引き取り手はなく斡旋に困るようになる。子供は感染しやすく、増えれば財政上養う余裕もなくなる。
 民間療養施設の草分け的存在のリデル女史は分離論者で、ハンセン病患者の結婚は認めない、イギリスではこれによりハンセン病患者がいなくなったとする。女性患者は男性患者の暴力を防げない、女性患者は療養所内でもっとも哀れな存在だ、ハンセン病患者は結婚すべきでない、子供の親となるべきでないと徹底すべきとする。彼女は神の国に導くことで欲望を抑えるとした。他の患者聞き取り本などを見ても、子供を出産した後発病したり病気が悪化した話は確かに多い。光田医師は男女別強制は人道上正しいやり方ではない、患者でも結婚させてやりたい、ただ財政上無期限の子供の養育を保障できない、また長く患者のそばにおくと感染の危険が高まるとし、内務省に問い合わせる。しかし内務省は積極的に取り組まず、大正4年光田医師はアメリカで実施されていたワダクトミーを知り、手術も簡単で出血も少なく術後普通に働けることから採用を決める。

 こうした経緯を見ると、当時の医学的知識、治療法の限界も感じる。一方、プロミン開発で完治する病となって以降、昭和31年ローマ会議で隔離政策が否定された後は、普通の病気扱いに切り替えるべきだったのだろう。
 昭和28年のらい予防法改正時、強制収容を勧奨にしてほしいと患者らが陳情したが撤廃されなかった。その後もハンセン病は医学的に解明され治る病となり感染力も弱い、しかし隔離撲滅政策が続き患者入所後の困窮家族の問題や管理福祉規定も不完全、退所者保護もまったくない、なぜハンセン病のみこうした不当な扱いを受けるのか、と改正運動が続く。平成8年、ついに隔離政策が廃止された。

 伝染病については難しい。政策の変化は、プロミンが開発され完治する病気になったことが大きい。
 以前会社で風疹にかかった女性が病をおして出勤したとき、周りからブーイングを受けた。彼女が「だってもう有給ないし休めない」と言うと、「だからってあんた、他人にうつしてもいいの」とみな怒っていた。
 風邪など軽い病かつ治る病はまだよい。インフルエンザに罹っても隔離はされない。インフルエンザは罹れば稀に死ぬ人も出る病気なのに、だ。致死率が高い、治療法がないものは、AIDSやSARSが初めて世に知られはじめた当時の反応を思い出してもわかるように、社会がパニックになる。特に感染力が強い場合、それをいちがいに責めるのもためらわれる。
 ただ患者にも人権はある。不治の病に冒された人だろうが”この世に貢献度の高い””偉い”人だろうがそれは同じだ。どっちの人権が多くてどっちの人権が少ないということはない。

 同じような病気に統合失調症(精神分裂病)がある。かつては人格が崩壊し廃人になる治らない病とされ、山奥の閉鎖病棟に「社会的入院」として長期間入院した。出るときは「棺」に入ったときなので「棺桶退院」と言われたという。政策として明記されていたわけではないが、社会的状況からこうだったのだろう。
 今では治療薬や治療環境も進み治る病となり(特に早期であるほど予後はよい)開放病棟、通院治療も増えた。
 統合失調症の有病率は人類が誕生して以来人種に関係なく常に1%、これは人類が種として生き残ってゆくために必要な疾患であることを意味するのだという(『マンガでわかる!統合失調症』中村ユキ/福田正人著 日本評論社)。

 病気は必ずこの世に存在する。自然界にも存在し、鹿や犬が感染した個体を隔離するかといえばそうはしない。その発想、能力がないだけだという向きもあるだろうが、自然界にもとから存在するということは、大きな自然の中の必要な部分として、病気もこの世に存在している気がする。



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