礼  文  島  1

 2017年夏、利尻礼文島を訪ねたときの写真
 1980年代に北海道旅行が若者の間でブームになり、利尻礼文も有名だった。残念ながら、当時はアジア旅行に夢中で北海道には行っていない。どういうところか興味があったので、ちょうど稚内まで来る予定があったので利尻礼文にも行ってみた。
 礼文島は標高490m程度で、利尻島よりかなり低い。300m350mで森林限界を超えるので、独特の景観になっていると聞いた。一方、かつては森林があったが、山火事や伐採でハゲになった、あるいは狐駆除で山焼きしたから、という話も聞いた(後述)。

礼文島 1日目  香深港





 有名なユースホステル、桃岩荘へ



 右上:桃岩



ユースホステル桃岩荘



 元番屋(かつてのニシン御殿)で、立地は非常に良い
 1980年代、礼文のユースホステルは非常に有名だった。皆で歌って踊ってすぐ友達になれる、といった話だったと思う(当時を知らないので、スミマセン)
 今でもその雰囲気は残っており、今はやっていないところも多い夜のミーティングを、ここは今もやっている(ミーティングは、かつてはYH名物だったそうだが、若者気質の変化で今はやらないところが多いという)。せっかくなので参加、全員ではないが結構大勢参加していた。皆で歌を歌ったり踊ったり、礼文の紹介があったり、礼文を歩くロングコースを走破した人たちを称えたり、賑やかだ
 雰囲気を作って盛り上げてくれる若者スタッフたちに感謝

 左下:猫岩







夕陽がきれいだと、館内放送で連絡が入る
皆、外に出て歌う

左:恒例の礼文島ロングウォークを走破した人たちを迎える宿のスタッフ

利尻の人も、今年は雨が多く寒いと言っていたが、桃岩荘でも、ここ10日くらいずっと雨か曇りで暗い感じだった、この日やっと晴れ間が出て気持ちがいい、やっと夏がきた感じ、と聞いた。
 ミーティングの歌の中に、「礼文を愛す」という歌がある。利尻に対して対抗意識があるような話をしており、礼文に1軒のセイコーマートが利尻には3軒あるとか、面白い。
 館内に貼られた新聞記事を見ていると、2014年に崖崩れがあり、復旧するまで休業していたという。また冬は雪が深く(冬季は休館)、何度か雪おろしにくるそうだ。



礼文島 2日目
 元地まで歩く 下:エンカマ、浜中集落あたり



元地



 浜にいる若者に対して、家の中から女性が「今日はヤマセが吹いているからナマコはだめか」云々話しかけている





 有名な岩 地蔵岩がある。かつてはろうそく岩と言ったらしい。海から見ると、お地蔵さんが手を合わせているように見えるという。
 アイヌの木彫の民芸品を売る店があり、ちょうど人がいたので少し話す。あとでわかったのだが、ガイドブックにも載る「リュウの店」のご主人だった。
 彼自身はアイヌ民族ではなく、元々阿寒アイヌの有名な木彫職人の店だったが、いろいろあって彼が継いだという。40年やっている、夏の間だけで家は別。ここも、かつては牧場もあり子供の数も多かったが、元地の小学校も廃校になった。以前は観光客も多かったが、今は減った。観光客そのものは来ているようだが、と言うので「おそらくツアーで決まったところだけバスで回っているんでしょうね。昔はありましたよね、カニ族とかリュックしょって北海道旅行する若い子たち」と言うと「そうそう、自転車やら歩いたりしてね。バスも桃岩荘まで来ていた」昭和40年代に、利尻礼文サロベツが国定公園から国立公園になったとき、ブームになったのだという。民宿も50軒くらいあったが、今はだいぶ減ったそうだ。



香深



 桃岩や元地は礼文の南端西側にある。港は南端の東側にあるので、中央の丘陵地帯を越えて港に出る
 右上:学校への道がトンネル化されていた。雪対策だろうか、強風対策か



 右上:利尻島が見える 香深の郷土資料館へゆく
 基本的に縄文時代からの遺跡を紹介しているところ
 ピンぼけだが、小樽利礼航路の資料があった 小樽−香深の切符もある(小樽利礼航路航路については、利尻島の郷土資料館に詳しい。利尻編の利尻島郷土資料館の項に詳述したが、明治18年から始まり平成12年に108年の歴史を閉じた)
 資料館の人に礼文アイヌについて聞いたが、もういない、血をひいた人もいない、と言っていた。
 このあと、バスでスコトン岬へ







 礼文島の東海岸を北上する バスにはユースで一緒だった白人夫婦も乗っていた



 バスは上泊から海岸線を離れ、丘陵地帯に入る



 右上:久種湖  もう船泊湾に近い



 丘陵をぬけると、礼文北端の湾の東側、大備に出る

スコトン岬



 左上:スコトン岬 バスを下りると異常に寒い ただ晴れたのでまだまし 遠くに見えるのはトド(海驢)島
 大型観光バスが何台も停まり、大勢の人が歩いている  左下は確か宿泊可能な施設





 ゴロタ岬へ向かう 風が強いので上着を着て下にスパッツをつける(真夏の快晴時にこの格好で歩くとは、やはり北国だ)
 白人夫婦も、あとから同じコースを来るのが見える
 右下:水難諸霊之碑





 しばらく開けた車道をゆく 徐々に登って行く道  上:進行方向  左下:スコトン岬方向を振り返る
 本州ならこの季節に炎天下の車道は暑くて歩けないが、全然大丈夫、風が強いとむしろ寒い



 左下:東の船泊湾    右下:西の鮑古丹











 このあたりまで車道だが、浜中分岐で土の道になる ここからさらに登り道
 土道になると、ハイカーが多くなる  振り返ると、遠くに白人夫婦も登ってくるのが見える



 銭屋五兵衛貿易の地 加賀の人銭屋五兵衛が享和から文化年間にかけて、ロシアとの間で密貿易をし、”胆力と黄金で颯爽と北海の荒波を縦横無尽に航海していた”、とある





 上:湾になった鮑古丹を望む  右上写真の岬の奥にスコトン岬が隠れている



 左上:進行方向の丘陵  右上、下:鮑古丹の海の色が美しい





 左上:北のスコトン岬  右上:東の船泊湾方向 中央の道を湾に向かって下ると江戸屋集落に至る
 銭屋五兵衛の碑の解説に、彼の屋号が江戸屋で、字の名も江戸屋になったとある。屋号の由来については、キンツバ屋を始め、それが江戸仕込みだったから、遠藤屋というのれんをかけ”エンドヤ”となまった云々あった。







 上はこれから進む南方向  左上は船泊湾  右上:稲穂ノ崎とゴロタノ浜 ここの海も美しい

ゴロタ岬  左下



 右上:進行方向の地形がシュモクザメのようだ  左下:スコトン岬





 左上:利尻が見える  左下:ゴロタの浜





 下:ゴロタノ浜に下りたところ





 海岸沿いに鉄府へ向かう







鉄府





鉄府集落

昼下がり誰も歩いていない

右下は稲荷神社

礼文2へつづく



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