沖  縄  2010  北大東島

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 南北大東島への船は、那覇泊港より出航する。大東海運の船の予定は、前月15日頃決定される(2010年現在)。基本的に行きの海上一泊、南北大東島いずれかに一泊、帰りの海上一泊の3泊4日の所要時間で、南泊まりと北泊まりを交互に繰り返す。停泊しないほうの島には行きと帰りに寄港する。
 今回は南泊まりの航路で回った。(大東島の歴史はこちら)      (写真の日付は誤りです)

泊港 大東島行きの船は意外に小さい。小笠原行きのおがさわら丸奄美諸島行きは大型フェリーだったのに比べ、車もクレーンで積んでいた。父島母島間のははじま丸よりも小さい。この船で太平洋の荒波を越えて行くのだ。(小笠原は曲りなりにも東京都だと実感)

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 左は船内のようす

 下:泊港

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 夕方5時出航。作業着姿の仕事関係者が多く(大東島は出稼ぎの島)、その他家族連れや若干の観光客。出稼ぎは宮古など他の離島の人が多い。48人プラス特別室が定員のようだ。今船は混んでいる。このときも満席だった。「飛行機が高いから。あれで往復したら外国行けるよ」「船で行けば那覇での宿代が出る」と聞いた。一方、飛行機も対抗してこの秋から値下げすると聞いた。

 行きも帰りも波はほとんどなく順調だった。ただ、台風シーズンもだが、冬は海が荒れる。南大東島の人も、冬は揺れるので乗りたくない、と言っていた。
 小笠原でも、冬は太平洋に低気圧がいるので荒れると聞いた。結局お蔵入りとなった超高速船テクノスーパーライナー(TSL)について、波が3メートルになると欠航になるようでは冬はほとんど出られず話にならない、だめになって良かったと聞いた。ということはおがさわら丸はかなり荒れても出るということだが、海が荒れると時間はかかっても欠航はほとんどないという。
 だいとう丸は船の高さや島の港湾設備からいって3メートルの波で出航できるのだろうか?(帰りの便に同乗していたおじさんたちが、「波が1.5mだと出るが2mだと出ない」とか言っているのが聞こえたが・・・)


荷揚げ作業
 大東島は太平洋の深海から山がそびえ立っているような地形。南北大東間は約8キロだが深さは2800メートルあり、さらに東側は水深5000mの海溝へと落ち込む。港まで送ってくれた宿の人いわく、「港で落ちたら怖い。海がいきなり深いから」という。山の斜面をころげ落ちるようなことになるらしい。また「大東島のダイビングは、海が深いので上級者向け」とも聞いた。
 このため、長年、漁船が停泊できる港を作れないできたが、現在島を削って漁港を作る工事を行っている。船は岸壁から二方、深海から引いた綱(ふだんはブイで洋上に浮かぶ)で二方を固定させるが、防波堤もなく(海が深いため建設できない)浅い海に碇で固定させるようなわけにはいかない。

 朝7時頃北港に接岸。島には3箇所港があり、波によって変えている。下は、有名な大東島の上陸風景(写真は最初に寄港した南大東島での様子)。クレーンに吊り上げられて上陸する。

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 貨物も車もクレーンで陸揚げされる。

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左上:ガスの陸揚げ

右上:貨物の上げ下げがなく乗降客のみの場合は、
岸壁からクレーンで艀を海に下ろして乗下船する

左:北港のクレーン

ちなみに南大東島図書館にある古い資料によれば、
県庁の要人の上陸時にクレーンのフックが外れて
ゴンドラもろとも海に落下、
命からがら岸に泳ぎ着いたが、カンカン怒って
村長に会わず帰ってしまった一件があるという。

今は荷物によってフックを使い分けるなど、細かい作業もしていて怖い感じはない。
車輌や機械は綱と車体の間にクッションをはさむなどしていた。



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北大東島
 9時頃南大東島を出て10時北大東島の北港着。南北大東間の切符は北大東島の西港で売っている。泊港では購入できず、予約のみ。このため北港から西港へ行く必要が出た。
 歩きかと覚悟するが、同じ船で下船した港湾係の人たちが車で送ってくれるという。

 さらについでだ、と北大東のおもな見所も回ってくれ、さいご島には店も食べるところもほとんどないから、と沖縄風おにぎり(卵焼とコンビーフを挟んだもの)をくれる。



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左上:燐鉱石貯蔵庫跡 (西港近く) 今燐はとっていない
右上:最初の上陸地点 公園になっているが、台風被害にあい、現在修復中 (西港近く)
左下:北大東島開拓100周年記念碑   右下:飛行場脇にある沖縄最東端の碑

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右上:飛行場脇にある沖縄池(海が深く泳げないため、南北大東島ではこうした海水プールで水泳教室をやっている)
ここまで回ってくれ、とても助かった(何しろ2010年は熱波でとても暑かったのだ)
このあとは自転車を借りてハグシタ(幕下)の盆地を回る。
下:盆地に広がるサトウキビ畑。左に給水パイプが見える。サトウキビは栽培に2年かかり、このあたりはまだ小さい。

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左:北大東精糖会社の事務所

 南北大東島は、火山の上にできた環礁(さんご礁)が隆起して出来た島で、海岸から数百mから1キロほど入ったところを、高さ5〜70mほどの崖が環状に囲んでいる。
 この中央に平たい盆地が広がり、そのほとんどがサトウキビ畑になっている。
 ちなみに南北大東島は農家一戸あたり8.8haの農地を持つ大規模農業で、全国でも有数の広さ。植え付けから刈り取りまですべて機械化されている。(参考『沖縄島々風便り』Coralway編 新潮社)

 元サンゴ礁の崖はハグと呼ばれており、崖の上をハグエ、崖下の盆地をハグシタという。


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 村のホームページによれば、崖上にある灯台のそばに、旧日本軍の壕跡がある。西港周辺で場所を聞いたが、わかりにくいと言う。直接行くと、戦友会の碑はすぐに見つかった。

 灯台への道をあがると、灯台脇に戦友会の碑がある
左上:歩兵第三十六連隊 第二大隊守備記念碑
右上:大東亜戦争熾烈極まる昭和十九年七月より昭和二十年八月十五日終戦に至る間、北大東島守備の大任に就く。終戦四十周年を迎え、永遠の平和を記念しこれを建立する
   昭和六十年八月 歩三六戦友会 北大東村

左:灯台脇にある壕のようなもの 中に何やら錆びた砲身のようなものが見える(足を骨折してまもなくだったので降りるのは断念)



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左:ハマユウ荘近くの観音様

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左上:広々とした幕下の全景。遠くに見えるのが環状の崖壁

右上:幕上もけっこう広くサトウキビ畑がある

左:長幕崖壁を盆地側の近くから見たところ。特殊植物群落に指定されている。

島のあちこちに溜池があり、ヤギが数匹いたりした。


 かつて南北大東島はビロウ(ビンロウでない)、榕樹(ガジュマル)、タブ(ヤマグス)の巨木に覆われていた。その後砂糖製造用のマキ、移住者増加による伐採などですべて失われた(『北大東島村史』昭和61年刊)。



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