島紀行 大 崎 下 島 下 蒲 刈 島
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2012年3月 広島県の仁方から下蒲刈島、上蒲刈島、豊島、大崎下島が橋でつながり安芸灘とびしま海道と呼ばれている。大崎上島も橋でつながるが愛媛県今治市になる。 大崎下島 呉や広から出たバスがとびしま海道を走っている。バスの終点は大崎下島の沖友天満宮 沖友集落のようす 左上:沖友集落で見かけた古い木造船 御手洗 御手洗は瀬戸内海の海上交通の要衝で栄えた町。北陸の北前船、四国や九州の大名が参勤交代で参るときの御座船が寄港し、オランダ商館も江戸参府の途中に寄った 左上:南潮山満舟寺 満舟寺には琉球使節の筆跡満舟寺額がある。 右上:「重伝建を考える会」の立て札によれば、”元大州藩・宇和島藩船宿 旧木村・北川家住宅「若長・ふもとや」 切妻造・平入・本瓦葺 建築年代は文政年間(1818〜1830)と推測される。平面構成はそれぞれに土間を造って二室続く一列二室型で、奥行(梁間)は五間、間口は左側の北側家が三間で他の二軒は二間半である” 左上:若胡子屋跡 若胡子屋は江戸時代の茶屋。享保宝暦年間御手洗には広島藩から免許された茶屋が4軒あったが、若胡子屋が最も大きく100人以上の遊女がいたという。彼女たちは江戸の吉原、京都の島原と同じように高い教養を備えていたとある。 左上:御手洗天満宮 右上:防火用水 左下:御手洗港向かいが大崎上島 右下:御手洗弁財天 下蒲刈島 下蒲刈島も歴史のある島で、三之瀬には美術館や資料館が多い。その一つ、松涛園に行ってみた。 上:旧木下邸(陶磁器館 中は撮影禁止) 左下:庭の様子 木下邸は瀬戸内、宮島の町屋を移築したもの 右上、下:旧吉田邸(あかりの館) 農具がたくさん展示されていた 和紙の笠はなかなか趣がある 吉田邸は山口県の旧家 左上:旧吉田邸 左下:蒲刈島御番所 右上:三之瀬の町並み |
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