沖 縄 2010 久高島 | ||
(写真の日付は誤りです) 12年に一回のイザイホーは神女(ナンチュ)の該当者がおらず、祭祀をとり行うノロも高齢で1978年を最後に行われていない 左:安座間ビーチ 現在久高島行きの船は安座間港から出る 久高島は東西に細長い島で、集落は東に集中、以西は畑と潅木の林が続く
左上:島の中央付近で見かけた牛舎 左:西の本島方向を見たところ こうした海岸沿いの崖の中腹に、ヤグルガーなどの井戸がある かつて離島は水汲みが大変だった 久高も頭上運搬で水を運んだが 現在では、久高の水は本島から引いている 左上:畑 右上:不思議な模様の浜(伊敷浜にて) 上:大里家 島の人から聞いた話:ノロは長男の嫁が継ぐ。姑が教え込む。ノロの家は2軒、一軒は長男に嫁がおらず、おばあさんも亡くなった。もう一軒はみな先生で外に出ている。一度嫁が継いでもよいという話が出たが、体調その他で沙汰闇になった。嫁は久高の人でなくてもよい。ヤマトの人でも外国人でもよい。 上:集落のようす 昔島で犬を飼うと1日500円の罰金だった。犬を飼っていた人がいたが、その犬は本島に流された。今は飼っても問題ない。 同じく篠島で、昔手癖の悪い子供がおり、ほかは良い子なのだが、何せ小さい島なので泣く泣く外へ流したという話がある。そこで、島で泥棒が出たら昔はどうしたか聞いてみた。畑の境はくっついているが、その境際の作物をとった人がT島へ流されたという。今その子孫がこちらへお墓を拝みにくるそうだ。 久高島は島全体が高台になっている感じなのだが、それでも台風が来ると潮をかぶる。潮をかぶると畑がやられる。マンゴーを植えてみたこともあるが潮をかぶってみな枯れた、パパイヤは大丈夫だという。戦前、台風が来てサツマイモをやられ、餓死があった。 民宿のおばあさんは、戦前パラオにいて鰹節工場で働いていたという。戦局が悪化したため戻ってきたそうだが、渡名喜島でも戦前パラオに移住し、カツオ漁で働いたという話を聞いた。 このほか、別の久高の人から、戦前は4月にカツオ漁船に乗って石垣へゆき、10月頃島に戻って追い込み漁(もぐり)をして冬を過ごす生活だったと聞いた(つまり移住はしていない)。あるいは、ソテツ地獄のあと家族は与那国に移住し自分は島に残ったなどの話もある。 戦時中切込隊に参加、戦後は海運会社を興した社長さんの貴重な体験談をこちらに掲載しています 沖永良部島 与論島 奄美大島 加計呂麻島 五島列島 利尻 礼文 | モンゴル | チベット | ラダック | 東北インド | 中国 | 1999北京 | ミャンマー | 台湾の廟 | 韓国 | 台湾2009 | |