雑穀栽培記-群馬編3

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 10月半ば、黍を棒で叩いて脱穀。稗も前回落ちなかった分を再び叩いて脱穀する。昔、雑穀は何度も干し直しては叩いて落としていたそうだ。最後に鎌原の高黍を刈る。

 11月初め、黍の残りと粟、高黍を脱穀。芦生田の老夫婦の家で、箕の使い方を教わる。これは慣れるとすぐれもので、お金をかけず手作業でよいつもりの人にとって、かな
りきれいに仕上げてくれる。篩で大きいゴミを除き、箕でカラを飛ばした後、昔は唐箕にかけたという。近所のお婆さんたちも顔をのぞかせ、次々に箕を使ってみせる。「底のほうにたまった重くていい種を来年の種にするといい」、そして昔はむしろを広げ、2、3人で二股棒で叩いて脱穀した、精白は水車だった、と話した。かつては川沿いに水車が並び、2、3軒に一つ水車があったそうだ。昭和三十年代までの農村は、今の農村とは随分違う景観だったろう。確かに昭和十年代前後に作られた無声映画を見ると、ロケシーンの背景に耕地整理のされていない田畑、小屋に牛や馬が一頭いて脇に水車の回る農家風景が映し出されている。小宿の区長さんも、かつて小宿にも下がったところに水車が並んでいて、1軒に1個づつあった、と言っていた。

 老夫婦の向かいに住むお婆さんは、昨年まで黍を作っていたそうで、誰も食べなくなったので今年は作らなかった、去年の種でよければあげる、と黍の種を持ってきた。黍は精米機に10回くらいかけると精白できる、ご飯に混ぜたり吉備団子にしたりする、という。稗は蒸して干した後、精米機にかけてご飯に混ぜて食べ、粟は団子か餅にする。

 鎌原でも貸し主が脱穀を手伝いに来てくれた。このあたりで雑穀栽培が行われていたのは親の世代くらいまでで、自分は子供の頃見たことがあるだけで直接作ったことはない、と言っていた。はじめ粟と高黍も棒で叩いて落としていたが、脱粒しにくいので近所に足踏み脱穀機を借りに行った。古い農具を残している老人がいるそうで、軽トラに積んで戻ってきた。オルゴールのような出っ張りの付いた円筒を回して穀類を脱粒させる。棒で叩く作業に比べると、格段に作業効率が上がった。燃料代もいらず、その割に
効率が良く、このだるま印足踏み脱穀機もすっかり気に入った。いつか手に入れたい。足踏み脱穀機で脱穀するとたちまち終わった。袋詰めすると黍、粟、高黍はだいたい1俵少々ずつ取れた。稗も1俵少々、全体で6俵弱だった。

 雑穀は収穫後の精白が大変だ。ライスセンターに問い合わせると、雑穀はクズが出るからだめだという。自宅近くの米屋でも雑穀を精白すると後の掃除が大変だから、と断られた。岩手の農協の話では、掃除が大変なので米の後に精白するか、家庭用精米機でそれぞれやっているらしい。会長さんが、昨年萱の家の会員達でそばを栽培したときに精白を頼んだ店が群馬大津にあるが、そこでやれるのではないか、と教えてくれた。問い合わせると大丈夫だというので、4種類半俵づつ、背負ったりカートに積んで電車と徒歩で運ぶ。これがなかなか難儀で、駅から店のある国道へ延々登る坂道の途中、重みでカートが壊れてしまった。安物だったためだ。一度に背負える量に限りがあるので、仕方なく何度も往復していると、下る途中、袋を一つ背負って登ってくるおばあさんに出会った。あれ?と思うと、「あんたが何度も行き来して大変そうだったから」という。そして坂の上の店まで背負っていってくれた。

 お店の人が状態を見て、乾燥不足でしけている、粟と高黍はクズが選り分けられていない、このままでは精白機にかけられない、と言う。きちんと選別して乾燥させる必要があるのだ。今回は東京の人だというし、特別にこちらで干して選別してから精白しても良いが、少々高くなってもいいか、と言った。そして残りは晴れた日に何度か干してから箕でいいのでクズを取り除いて持ってくるように、土用を過ぎると虫が動くから、ちゃんと密封して保管するように、と言った。

 農家の人と話すとこのように古い暦の言葉がよく出てくる。「そばの地蔵蒔き」というのもあった。最初土用と聞いたとき、うなぎの夏しか知らなかったので何かと思った。旧暦や二十四節気の出ているカレンダーで初めて、土用は春夏秋冬4回あることを知った。以来旧暦で言われてもわかるよう、カレンダーには高島暦を買うようになった。

 11月半ば、残りの雑穀を篩と箕で選別して袋につめ、この年の作業を終えた。区長さんの家へ寄ると、来年粟と黍を少しばかり作ってみたいというので種を渡す。

 雑穀をリュックにしょいカートで引いて駅までの山道を歩いていると、途中群馬県警のパトカーが来て職務質問されるはめになった。実は小宿の上、応桑にはオウム真理教
の施設があり、当時すでに無人だったが県警の見張り小屋が立っていた。常林寺から小宿、応桑に至る山道には「オウムはきらいだ」「オウムは出て行け」等々の看板があちこちに立っていた(現在では施設も取り壊され、看板もない)。サリン事件の頃は、オウムが嬬恋や長野原の水道源に毒物を入れるのではないか、と大騒ぎだったそうだ。見慣れぬ人が大荷物しょって山を下っている、と通報があったそうで、その荷物は何かと問う。雑穀を栽培している?どこで、どこに泊まっている等々聞かれ、萱の家のことを知らないので「えー、新聞にも載りましたよ。区長さんだって知っているし」というと、あそこは長野原の管轄で吾妻の管轄ではなく情報が入らない、と言った。怪しいもの
ではないと感じたらしく失礼しました、下まで送りましょうか(パトカーは駅から芦生田への登り口にある駐在所のもの)と言ってくれたが、断った。管轄が入り乱れた地区なのはわかるが、同じ一本道なのだから情報くらい仕入れとけよ、オウムなら車くらい持ってるよ、と悪態つくと「そうですよねー」と言った。

 

拡大写真    ★は文中にないもの

1  小宿の茅葺き屋風景
2 小宿の茅葺き屋風景
3 萱の家  ★
4 芦生田より万座鹿沢口を望む  ★
5 芦生田の畑
6 鎌原の畑  ★
7 粟
8 稗
9 黍
10 長野原、嬬恋に典型的な農村風景

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Last updated:07/01/24 .  First uploaded:01/12/03 .  ©1999-2010 XIER, a division of xial. All rights reserved.