富士山登山


須走口 五合目−頂上−御殿場口 2012.8中旬

コース記録:本五合目6:40−大陽館7:40−頂上10:02−御殿場下山口10:55−御殿場口バス停13:50−太郎坊14:20−馬返15:15−青年の家16:15

 左下:小屋前から見たご来光
 昨晩は夜になっても続々人が登ってきて、小屋の前で休んではまた歩いていった。夜中3時でもヘッドランプのあかりがちらちら見える。みなタクシーで五合目まで来る、4人いればバス代とそう変わらないとのこと。夕方小屋前を出て行ったひとたちは、夜中山頂に着く、そこでご来光を待つのだが寒いらしい。





 本五合目付近は樹林帯だが、すぐにガレ場になる。
 左下:廿六夜の石柱があり、その脇に鈴がたくさんぶらさがっていた。もう一つ、登山道脇で見かけた石柱は慰霊碑だった(やはり鈴がたくさん下げられていた)
 右下:山小屋に荷を届けごみを搬出する車



朝は晴れていたが、次第曇ってきた
さかんに自衛隊の演習の砲撃音が響いている

須走の登山道は、八合目須走館の先で富士吉田口からの登山道と合流する。ここから混雑すると聞いたが、時間的にも渋滞するほどでなく助かった。むしろ下山の人のほうが多い。また、夜通し登り疲れたのか、登山道脇でリュックにもたれて爆睡中の人もみかける


 頂上到着。前回(富士吉田口)は強風でお鉢めぐりできなかったが、この日は無風。これは行くしかない、と反時計周りに歩き出す。
右下:風がないので底をのぞくことができた。白く見えるのは雪渓。下界側は雲が厚く真っ白で何も見えない
左下:このあたりに金明水があるはずだが、これか?





右上:富士山最高地点、剣ヶ峯の三角点。測候所がある
左下:富士宮口の頂上 浅間大社奥宮
右下:銀明水の井戸(蓋がついており中は見えず) この前に御殿場口の下山道がある





下山は須走口か御殿場口のどちらかにしようと思っていたが、急に雲が厚くなってきたのと、別の道から下りてみたかったので御殿場口にした  左上:御殿場口下山道下り口
この道は空いている。最初石の多いガレ場、大砂走りからはだだっ広い平原が一気に御殿場口まで続く。樹林帯いっさいなし。これがこのあと怖い体験へとつながる結果に・・・



 頂上から下り始めてすぐ、雷鳴が聞こえ小雨がぱらついた。これはまずい、と急ぎ足で下る。いくつか山小屋を越え、日ノ出館についた頃には雨も雷もやんでいた。男の子たちがスパッツをつけているのを見て、こちらも用意してきたスパッツをつけ砂走りの準備をしていた。すると再び雷鳴、これは早く下ったほうがよいのでは、と急いで出発。かかとをめりこませるように砂のクッションをきかせ、調子よくぐんぐん下る。
 すると行く手に下から雲がはいあがってきている(写真左上)。突入することになるが、こんな荒野で立ち止まっても雲はくるし、と駆け下ると突然雨が降り出し、一気に土砂降りになった。雷鳴が頻繁に頭上に轟き、周囲の人たちも大急ぎで駆け下ってゆく。砂走りを楽しむどころか本気で斜面を疾走、やがて行く手に小屋が見えてきた。
 作業小屋のようで中には荷物があり人は手前に数人しか入れない、しかも東向きで東から風雨が吹き込む。道は小屋の北にあるので、みな北の軒下か入り口付近に溜まっているが、北も風が吹きつけ雨避けにならない。風向きから南の軒下のほうがよいはず。行ってみると誰もおらず、雨もあたらない。雷はまださかんに鳴っている。落ちたら運命だな、まあそれならそれでいいやと思う。
 すると学生風の男子三人連れが「風の向きからするとこっちだな」と言いつつやってきて、「やっぱり」と言う。もう一人男性が来て、しばらく話す。三人はこれから登るそうで、もう一人は宝永山のトレッキングに来て下山にこのルートを使っていた。朝、午後雷雨と予報があったそうで「思ったより早く来ましたね」と言っていた。上にいたほうがかえって雷がないかどうか議論になる。男性はこの雨はすぐやむ、長くは続かないと言う。
 雷鳴は遠ざかり、やがて小降りになった。小屋周囲にいた人たちは続々出発しはじめる。三人も頂上をめざし、こちらも出発。小屋の北側少し離れたところに、ポンチョ型カッパをつけた母子がずぶ濡れで呆然と立っていた。入れなかったのだろうか、気づけば南側へ呼べばよかったと一瞬思う。

 視界も開けてきて、駐車場まで一気に見通せるようになった(写真左)。雷雲は北西から南東へ移動したようで、右手前方の送電線群あたりにさかんに稲妻が閃き雷鳴が鳴っている。晴れていれば、この道は景色抜群の中、一気に駆け下る道なのだろう。逆に登りは単調でしかも砂地、距離も最も長く一番大変な道ではないだろうか(御殿場口はバス停や駐車場の標高が最も低い)。
 普通山から見下ろすと平野が下のほうに見えるものだが、ここからだと(左下写真ではわかりにくいが)目の前の空けっこう上のほうまで大地が広がって見える。不思議な光景だ。



 バス停で時刻表を見ると、15:15までない。そこで太郎坊か馬返しまで歩いてそこからバスに乗ることにする。右上:車道を行く 駐車場からは樹林帯



 40分で太郎坊到着。御殿場口は標高が低く、太郎坊で二合目と聞いた。お堂や神社があるわけではなく、その代わりに殉難碑があった(左上)。富士山測候所の気象台職員が、交替登山中吹雪に巻き込まれたり、堅氷や突風で滑落したりで殉職した人々を慰霊している。
 そのすぐ下隣に英国航空機事故の慰霊碑もあった。昭和41年、英国航空機ボーイング707が太郎坊上空で突如空中分解、百名以上の死者を出した。その後年配者に聞くと、当時、外国の航空会社は乗客に富士山を見せるため富士山上空を旋回してみせることがよくあった。しかし富士山上空は乱気流が多く、富士山がきれいに見える日は近づくなと言われていたという。当時、航空機事故が立て続けに3件くらい起きた年で、強く印象に残っていると言っていた。この慰霊碑の少し下に、空中分解地点の碑がある。



 歩いていると再び雷雨になった(左上)。まあ、樹林帯なのでさくさく歩く。馬返し到着(右上、ピンぼけ)。しかし、なんとバス停がない!自由乗降区間がどうか不明だし、これはまあ歩くしかないな、市街地に出ればバス便も増えるだろうと歩き出す。途中、ツーリング3台、歩いて登る若者1名とすれ違う。15:15のバスも追い越していった。
 周囲は馬返し台の自衛隊演習場。電光掲示板に赤文字で戦闘射撃訓練中と流れていたり、軍用車両やジープがさかんに行き交い、須走の道より軍事色が濃い。ゲートに隊員が詰めている箇所もあり、一般人が歩いてはいけない雰囲気も感じる。
 平地に下りるとT字路に出る。目の前は米軍基地か何かのようで、その前で写真やメモを取るなどの行為を禁じる云々の表示がある。T字路脇、基地向かいが青年の家でバス停があり、1時間に1本ある。ちょうど十分後にバスがありラッキーだった。

 天気が崩れ、ずっと雨になるのが嫌で出発を急いだが、今思えば日ノ出館で雷雲をやりすごすのが正解だったのだろう。雷雨はそう長く続かない。
 ところで、吉田口からの登山道では頻繁に見かけたシェルターが、須走口にも御殿場口にもまったくなかった。吉田口以外は火山弾も火山灰が降っても、避けるところがない。シェルターがあれば雷雲が来ても隠れられる。

 これで富士吉田口と須走口、御殿場口を一合目まで制覇、あとは富士宮口を残すのみ。精進湖から五合目までの登山道とお中道も、いずれ歩いてみたい。




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