2012.8下旬

 奥の細道ウォークの一環で、出羽三山に登った。信仰の山はできるだけ一合目から登るようにしているので、羽黒山から歩いて月山に登り、湯殿神社へ縦走した。


コース記録:羽黒センター8:30−9:30羽黒山山頂10:10−(昼20分)−月山二合目12:30-15:50八合目16:00−九合目17:10
  二日目:九合目5:55−6:50月山山頂7:10−9:30湯殿神社9:50−10:15参篭所(温泉)11:15−細越峠12:00−田麦俣バス停13:45

 鶴岡からバスで羽黒センターに向かう。センター手前は宿坊街で古い宿坊が続く。夏暑いため早い時刻から登り始めたかったのだが、ムーンライトえちごで新潟着4時52分、鶴岡7時35分、出羽三山神社の山門(仏教寺院のよう、写真下)に着いたのは8時半だった。標高も低く、既に蒸し暑い。
 



 暑い中へろへろ登る。途中お堂があちこちにあり、爺杉だの巨木もある。約1時間で頂上着、バスで一緒だった人たちが下りてくるのにすれ違った。
 山頂の出羽三山神社の説明書によれば、修験道の山は手前に里から上りやすい低山、その奥に高山が控える地形にあり、手前の里山を葉山(端山、羽山)と言った。羽黒山は黒い葉山の意味だという。

 地図にある東北自然歩道の入り口についてたずねると、ちょうど8/26から9/10まで180人近くが吹越篭堂などで修行に入っており、注連縄で結界を張り一般の人は通さないという。バス道は有料道路で歩けないというが、仕方ないのでこっそり歩いていると、右手に吹越篭堂が見えてきた。なるほど結界が張ってあり立入禁止とある。さらに下ると右手に山道がある。ひょっとして東北自然歩道に出るのでは、そしてお堂も過ぎているしこのあたりは歩けるかもしれない、と入ってみると、果たして山道に出た。そして、合流点にちょうど結界が張られ、「出羽三山神社峰中堂 8月26日 9月10日 吹越篭堂にて秋の峯修行中に付き一般の御方は右側の道路をお通り下さい」とあった(右下)。





快適な山道をさくさく下り、荒沢寺に到着(左上)。ここでも修行中というが、自然歩道は寺の裏から入ることができた。ただし、羽黒山−荒沢寺間に比べ倒木あり、草が茂り荒れている(右上)。写真の箇所はそうでもないが、途中かなり藪化していた。ただ道幅が広いので迷うことはない。土の上樹林帯の下なので暑さはしのぐことができる。



11時半頃山道は月山への車道に合流、その後は熱せられたアスファルトの上を延々行く。途中、右手(西側)に牧場が広がり景色が良い(左上、中央の木々の上に牛が点在している)。
右上:これから向かう月山

左:車道。ここは木陰があるが、木陰のないところも多く、厳しい暑さの中へろへろ歩くはめに。

下:二合目 小月山神社





左上:三合目 神子石   右上:四合目 強清水
左下:竜ヶ池   右下:五合目 狩篭





左上:六合目 平清水 富士山同様、月山もかつては一合目から歩いて登られた山で、旧道があるという。月山神社の人の話では一合目からはかなり荒れているかもしれない、六合目から八合目は草刈しているはずとのことだった。ただ、六合目のバス停には「地形が複雑で大変危険な場所ですから単独で入山しないでください 現在不明者1名」と立て看にあった。今一合目から歩く人はほとんどいないという。本当は旧道を行きたかったが、藪化していると時間がかかる。山小屋に予約していることもあり、道を急ぐので暑いが車道を直進。
 とにかく暑さが半端でなく、ほぼ30分ごとに合目があるので、そのたび休憩をとった。普段山歩きで休憩をほとんど必要としない自分としては異例のペース配分。五合目あたりでザックを頭に5分ほど横になって休むと体が軽くなることを発見、以降休憩のたび寝そべるようにした。(四−五合目間、六−七合目間は長いので適宜休憩)

右上:中央に見えるのは歩いてきた尾根道
左下:七合目 合清水   右下:八合目レストハウス上の花畑 この時期花はなかった





八合目以降は山道、アスファルトの照り返しもなく、夕方で日差しも弱まり、途端にペースも上がる。木道に残る跡はアイゼンかと思ったが、山小屋の人の話ではこのあたりは春にスパイク長靴やスパイク足袋で登る人が多い、その跡だという。
左上:八合目付近の湿地   右上:九合目 真名井神社 仏生池にある
左下:夕日   右下:早朝 夏も残る雪渓から湯気があがっていた







5時55分出発、涼しくて歩きやすい。草原の尾根をさくさく進む。岩が多く金峰山あたりに似た景観だ
左上:山頂の月山神社 神社内は撮影禁止 お払いを受け人がたを水に流して参拝する(湯殿神社も同様)
右上:これから向かう湯殿山方向 基本下りなので楽
途中、月山に登ってくる人にちらほら会うようになり、「早いですね」と言われる。みな姥沢まで車で来てそこから登ってきた人たちだ。

左下:雪渓  地元の人によれば、月山は夏スキーで有名だが(冬は雪が多すぎて滑れない)、営業開始は5月の連休、しかしまだ雪が降る、一番いいのは5月末、7月半ばまで滑れるがその頃は藪も多く怪我も多いという。
右下:姥ヶ岳への道から振り返ったところ 中央が月山から下りてきた道 左への分岐が湯殿山方向
姥ヶ岳との分岐を湯殿神社方向へ曲がってしばらく行くと沢がある。このあたり上流は何もないはずなので、水を汲む。手を浸すと真夏なのに千切れるように冷たく1分とひたしていられない。雪渓の水だろうか。





 最後は鉄はしご連続の急斜面。芭蕉も羽黒山から月山、湯殿神社まで足を伸ばし再び同じ道を通って羽黒山へ戻ったというが、芭蕉の時代、この道はどうなっていたのだろう?
右上:中央の谷間に見えるのが湯殿神社のバス停駐車場付近

湯殿神社も撮影禁止、御神体について語るのも禁止だ。
左下:湯殿山参篭所 せっかくなのでここでご神湯に入る。神社と源泉は異なるとのこと。



 ここから旧六十里越街道を歩く。なお、山形県の出している奥の細道歩くマップによれば、芭蕉は湯殿神社から羽黒山へ引き返しているようだが、別のサイト情報では六十里越から鶴岡に戻る行程になっていた。また、六十里越街道の入り口だが、国土地理院5万分の一や奥の細道歩くマップでは参篭所の北になっているが、そのあたりに入り口は見当たらず、聞くと車道南側に湯殿神社旧参道の入り口があり、ここが六十里越街道にもつながる道だという(右上:旧参道)。
 旧道は整備され歩きやすい。大越だのへの分岐があるがここはバス道を横切る道をゆく。しばらくするとY字分岐があり、ここで六十里越街道から旧参道が分岐していた。街道南進は大越だの奥へ行くので、田麦俣方向は北進になる。旧六十里越街道には道標や説明書きがあちこちあるので安心だが、全体のどの位置を歩いているかを示す地図がないのが若干不便だ。
左下:湯殿山と書かれた石碑群   右下:笹小屋跡  斎藤茂吉がこの道を歩き、ほうぼうに歌碑がある





左上:砲台跡 慶応4年戊辰戦争に備え、奥羽越列藩同盟の庄内藩が新政府に対して構築したとある

右上:掘削道(名称がついていたがメモし忘れ)

細越峠付近で草刈している人たちがいた
「ご苦労様」と一声かける

さいご田麦俣への長い下り(長坂)で説明板に、”昭和6,7年頃の立ち木への落書きが残り、「雪の中馬を待つがなかなか来ない」など当時の生活が偲ばれる”とあった。こんな山道を馬が通っていたのか。乗合馬車が結んでいたという碇ヶ関を歩いたときも思ったが、馬、てどの程度の坂道を行けるのだろう?

左上:田麦俣 茅葺屋根の補修だか葺き替えを行っていた



歩行年:2012

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