かつて日本には、土地に定住して農業工業商業を営む人々のほかに、「道々外才人」と呼ばれ、定住せず、山野市町に漂泊する人々がいた。歩き筋とも呼ばれる彼らは、行者、山伏、聖、毛坊主、御師、巫女、比丘尼、遊女、猿回し、傀儡子、人形回し、万歳、タタラ師、マタギ、サンカ、博労、杜氏、木地師などがおり、生業的に未分化であるジプシーと異なり、日本の歩き筋は職業分化していた。
それぞれ特異な生業者技術をもって遍歴しながら、体得した知識や情報を、閉鎖性の強かった定住者社会にもたらす、文明の伝播者だった。
特に木地師は巡国制度があったため、よく記録が残っている。山の八合目以上の木は切ってもよいとする木地屋文書などは、「関渡津泊の煩なく自由な諸国の往反遍歴を天皇によって保証された前代の供御人の生きざまに脈絡すると考えられる」。
以上、網野善彦「中世における天皇支配の一考察」岩波書店、渡辺久雄「木地師の世界」創元社から抜粋
このほか、このページの内容は、橘文策「木地屋のふるさと」未来社、文化庁文化財保護委員会「木地師の習俗1」平凡社、文化庁文化財保護部「木地師の習俗2」平凡社、橋本鉄男「木地屋の習俗」岩崎美術社、橋本鉄男「漂泊の民」白水社も参考にした。