北海道(平取とジャッカドフニ) |
||
2011年11月 平取 平取はアイヌ民族の人々が数多く住んでいる町。トマト栽培で有名な町でもある。 左上 二風谷ダム湖 反対運動もあったが平成4年に完成 上:二風谷アイヌ文化博物館(町営) 左写真は高床の穀物貯蔵庫と熊を飼う檻(写真奥の2つの木枠) 右上:チセ(家)の内部(アイヌ資料館) 囲炉裏の上の貯蔵棚は本州でも見かける 左上:イヨマンテの祭壇 イナウは御幣の原型とも言われる 草や木の皮で編んだ籠 右下:粟、高黍(モロコシ)などの雑穀とアオダモで作った農具(アイヌ資料館) 左上:沙流川上流看看橋近くの牧場 右上:看看橋近くチャシ(中央の岬の突端にある) 網走 網走は北方民族色の濃い街。 右:網走駅 左にオホーツク文化を担ったオホーツク海人の像がたっている 1980年代になって網走在住のゲンダーヌ氏とアイ子氏がウィルタ民族であることを公表して表に出るようになり、網走にウィルタ協会が設立される。さらに北方民族に関する日本初の資料館ジャッカ・ドフニも網走に開館した。(詳細は田中了氏や波木里正吉氏らの本に詳しい) 30年たった今、ゲンダーヌ氏もアイ子氏も亡くなり、ジャッカ・ドフニも2010年に閉館した。しかし網走ではウィルタ刺繍の教室が今も開かれ、学んでいる人も多いそうで、みな日本人だという。また市内でポスターなどにウィルタ紋様が使われているのをときどき見かけるが、ウィルタ協会関係者いわく、著作権が気になるから最初は注意していたが、今では黙認しているとのことだった。 写真上:網走市内 アプレフォーの通りだが、今繁華街は国道沿いのショッピングセンターに移っている 天都山への道 左上:吹雪避け柵 右上:道端にあった馬頭観音 周囲は酪農家が多い 左上:天都山頂上より 網走湖方向 右上:天都山頂上より 右がオホーツク海 左:天都山の落葉樹の林 国境の民 ジャッカ・ドフニ ウィルタはアムール川下流に居住していたトナカイ遊牧民族。冬季は気温が零下50度まで下がり韃靼海峡が凍結する。このためシベリアからトナカイを追ってサハリンまで渡ってきた。 ジャッカドフニ本館の手前の白樺の幹が剥がされているが、これは北川アイ子氏が白樺の皮で箱を作るなどするために剥いだもの。木が枯れないように剥ぐのだが、こうした木を枯らさずに皮を剥いで利用する技術は、アイヌや日本の山村にもある 下:ジャッカ・ドフニ遠景 右下:アウンダウ内部 上:北川ゲンダーヌ氏が、故郷樺太(サハリン)の景色に似ていると愛したジャッカ・ドフニの裏を流れる川と湿地帯。彼はここでよくしじみを採っていたという。しかし必要以上には採らなかった。あるときしじみを採りに行ったがすぐに戻ってきたので聞くと「狐が来て”俺の分も残しておいてくれよ”と言ったからやめた」という。 移動生活なので死者は土葬だが(風葬は誤り)、4〜5年で墓参りをしなくなる。学者によっては弔う精神が薄い、という人もいるがそうではない、静かに眠っているから何度も行ってじゃまをしたら悪いと考える。アイ子さんも「ちゃんとやっているかと気にかけさせたら悪いでしょ」と言っていたという。(かつて日本の山中を移動生活していた木地屋も、やがて場所がわからなくなるので墓参りをしない、と読んだことがある。) 田中氏の本に出てくるロシアで少数民族の土地の利用が認められるようになった件についてその後どうなったか聞いてみると、かつての狩猟生活のようにはゆかず、それで生活できるほどではないようだ、という話だった。ロシア中国では少数民族政策が進んでいるという人もいるが、あれは補償金だのの面もあるとのこと。 |
木地屋の里 家船の島 銀鏡神楽 平取とジャッカドフニ 長島
里山:[町田/稲城/日野/八王子/あきるの/高尾/日の出] 川:[国分寺崖線][世田谷の川]
近郊の山:[檜原/上野原/秋山/奥多摩/丹沢] [八ヶ岳/月山/南アルプス/富士山]
国内:
[木藤古/上ノ山/椎葉村]
[岩手端神/椿山][北軽井沢/小川原湖][ローカル線][就農訪問]
[花(潮来ひたちなか)][稚内]
| モンゴル | チベット | ラダック | 東北インド | 中国 | 1999北京 | ミャンマー | 台湾の廟 | 韓国 | 台湾2009 |
| マザーテレサ | シッキム | ハワイ | タイ | クルーズ | アメリカ | ドイツ | キプロス | スイス | イタリア |
| 小笠原 | 四国へんろ | 国内 | 島 | 震災 | 雑穀栽培 | 林業 | 就農 | 銭湯記 |
| ミャンマー歌手 |
北京放送 |