九州の神楽としては高千穂や椎葉の神楽が有名だが、銀鏡神楽も、直前に狩った猪の首を祀って神楽を奉納するという古風を遺している。特にししとぎりという狩法神事が行われ、銀鏡神楽は国の重要無形民俗文化財に指定されている。
12月14,15日の寒い時期に行われるのと、宮崎市から西都市へバスしか通っておらず、さらに銀鏡へ行くにも村営バスしかないという、かなり交通の便が不便なところだ。
今回は旅の予定から、二十四番の天岩戸までしか見ていないため、ししとぎりは未見。
銀 鏡 神 楽 |
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2007年12月 九州の神楽としては高千穂や椎葉の神楽が有名だが、銀鏡神楽も、直前に狩った猪の首を祀って神楽を奉納するという古風を遺している。特にししとぎりという狩法神事が行われ、銀鏡神楽は国の重要無形民俗文化財に指定されている。 今回は旅の予定から、二十四番の天岩戸までしか見ていないため、ししとぎりは未見。 西都市 かつて佐土原−西都間(のちに杉安まで)を軽便鉄道が通っていた。宮崎市からのバスが着くターミナル向かいに駅の看板が残っている。 中心街は典型的なシャッター通りで、全体に衰退感が漂う。 右は銀鏡へ向かう村営バス。 銀鏡神社への道 銀鏡神社の門だが、実際の上り口はもう1駅先にある。銀鏡の集落はそこそこの多きさ、民宿もある。 上は神社へゆく途中に見かけたかくら。
左の写真、青いシートのあるところが神楽の会場。以前、東京都檜原村で神楽を見たときは、完全に地元民だけの鄙びた神楽だったので、行く前はそういう感じかと予想していた。人ももっと少ないと思っていたが、屋台も出ており観客も多い。 銀鏡神社 左上と下は神楽の奉納殿。 神楽 (ビデオカメラで撮影したほうが暗い中でもクリアに写っているため、そのうち写真化してアップ予定。とりあえず、デジカメの薄暗い写真を先にアップ) 7時頃前夜祭が始まり、8時頃神楽開始。一番40分くらいずつかかり、三十三番ある。ししとぎりは三十二番で翌日昼12時頃になるとのこと。 12時頃、八番の西宮大明神を神社の宮司が舞う。おひねりが飛んでいた。十番の宿神も宮司の舞で、おひねりが飛ぶ。宮司をめがけて投げるので、危ないなと思っていたら、地元の人の話では宮司の被る冠の中におひねりを入れるといい、という。どうりで、中学生くらいの子供が冠の中に投げ入れたときに、拍手が起きていた。 高千穂などは観光化されている、そこで十年ほど前こちらへ来てはまった、という人や、毎年来ているという人もいた。大学の先生も来ており、教授が仮眠中は学生がビデオ撮影を担当していた。 以前、BSでこの銀鏡神楽をすべて放送したことがあったそうで、その直後は2000人来て身動きがとれなかったそうだ。 宿神の舞終了頃2時半になり、どうにも眠くなり、いったん離れにある仮眠所で仮眠することにした。大部屋の端のほうをカーテンで仕切って女性用の一角が設けられていたが、なんと神楽の始まる前に確認した仮眠所の布団すべてを、女性二人で使って寝ている。大勢いる男性ともう一人の女性は布団なし。一人で6枚くらい使っていた。最初来たときは彼女らだけで寒かったのかもしれないが・・・。 地元の人の話: 国の指定文化財になったため、12月14,15日の日にちを変えられない。文化庁から変えるなと言われているそうだ。周りの他の祭りは土日になりつつある。 猪の頭は祭りの始めに奉納する。誰某さん、1頭、2頭と紙が貼ってあり、その上に並べる。基本的に狩猟民俗の神事だから。前日までシシ狩りの犬の鳴き声がしていて、人が走り回っていた。 右は良い声で歌う禰宜さん。 民俗文化映像研究所の姫野忠義氏に、銀鏡神楽を知るには十年通いなさい、と言われて通っている人がいた。彼の話では、前は年寄りのうまい人がいた、今は若い練習中の人が多い、また昔の人は背が小さくて160センチくらいだから、神楽殿の広い舞台を大きく舞っている感じがしたが、今の人は大きい、特に若い子は大きく、舞台が手狭に感じられてしまうようになった、という。早池峰も行った、あれもよいが、1980年代に岩波で「早池峰の賦」という映画が上映され、あれ以降どっと人が増えた、よくない、という。銀鏡は研究者の間では有名だそうだ。今年は白人がいなかった、たいてい九州大学だの宮崎大学だのの留学生で、こうした民俗に興味のあるのがいて来ているという。 朝が明けてくる。二十二番伊勢神楽、二十三番手力男命、そして7時半頃、二十四番戸破明神の天岩戸を見て西米良へ行くため、出発。 西米良への道 西都市の隣、西米良は木おろしで有名。杉だのの枝打ちの際に、木から木へと棒一本で空中高く渡ってゆく。わざわざ下へ降りてからまた登る手間を省くためだが、民俗文化映像研究所の西米良の映像を見て、その軽業的な技術が鮮明に印象に残っている。 左下は越野尾のあたり。今ではダムが出来ているが、かつて村はダムで沈んだ底にあった。今の越野尾は移住した集落のため、新しい家が多い。 集落の小学校は4年前に廃校になり、村所に統合された。かつては100人の生徒がいた。今の60代で5、6人兄弟がいた。”たすからはえ(木浦助八重)”など上のほうの人も、旧小学校まで通っていた。 椎葉の諸塚山にはサンカの集落があり、毎年椎葉南から熊本側まで回遊していたとよく本で見たので、このあたりにも来ていたのではないかと聞いてみる。 右上と左は村所で、西米良の役所のあるところ。以前はこの村にも7000人の人がいたが、今では千数百人。ひどく減った。村所でも12月15日に祭りをやっている(夜祭り)。越野尾のあたりは児原神社の祭り。焼畑は椎葉が有名だが、西米良でも小川でやっている。村おこし、観光もあって、という。 かつては、村所のバス停は駅だった。電車はないのに駅というと皆不思議がるが、ここからJRの切符が買えた(四国でも、村の中心地のバス発着所で、かつては全国のJRの切符が買えた話を聞いた。やはり駅と言う)。終戦直後はバスも本数が多く、ぎゅう詰めだった。今はほとんど乗らない。(このときも、板谷で降りた女性と二人だけだった。) 横谷トンネルができ、便利になった。旧道は山をぐるぐる回り、湯前に行くまで1時間かかった。今はバスで30分、乗用車だと20分。みな熊本側の人吉のほうへ買い物に行く。宮崎へは出ない。湯前に大きいスーパーがある。 バスは板谷の先まで入って行く。途中折り返して横谷のほうへ行くのだが、折り返し点には何もない。人が住んでいるのか聞くと、かつてこの先に材木の仕事をする人たちがいた、2、300人いたか、バスはここまでなので、さらに30分近く歩いていたそうだ。今はもう誰もいない。林業は厳しいから。 大王鶴という二軒長屋が3棟あるところを通る。トンネルをぬけると熊本側、宮崎側は谷底の道だったが、熊本に出ると高台で見晴らしがよい。 |
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