北沢川烏山川沿いの畑 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
北沢川と烏山川にも書いたが、かつて東京の区部西部にも畑が広がっていた。 子供の頃に比べだいぶ減ったが、それでもまだ、ところどころに畑が残っている。ハウスもあれば、露地でキャベツ、トウモロコシ、サツマイモ、サトイモ、ジャガイモ、ネギ、ナス、キュウリを作っていたり、造園業を営んでいる。果樹園もある。 畑の周囲を分譲し、周りを家屋で囲った内側に畑を一枚残しているところも多い。つまり、畑への出入り口は農家の裏しかなく、外からは畑のあることが見えない。 都市部の農家に対する逆風は強い。 今はなくなったが、一時期ある畑の脇に、「風の強い日には土ぼこりが飛ぶ、できるだけ飛ばないよう気をつけているが、どうぞご理解を」と近隣住民に対する看板の掲げられていたことがあった。 土ぼこりくらいよいではないか。黄砂ではあるまいし、アスファルトに覆われない土地なら当たり前の自然現象、地球に生きていれば当然のことだ。土と共に生きよう。 もともと武蔵野は関東ローム層の黒い肥沃な畑作に適した土地だ。実は、宅地にするのは非常に勿体ない。 逆に農業生産性から見た場合の発想として、皮肉をこめて言うのだが、平野の宅地も畑に戻して、農業に適さない土地を宅地化すべきとという考え方もありうる。 ところで、今、昭和30年代40年代に入居した建売を中心に、中野杉並世田谷あたりでは空き家が増えている。子供世代はもっと郊外に家を建て、親世代が亡くなっても誰も住まない。いずれ相続等で売りに出されるのだろうが、便利な土地に空き家が増えるのはもったいない。 多摩ニュータウンや千里ニュータウンでも高齢化が伝えられているが、里山を壊して、長期的に維持できない、30年で捨てられるような町を作るのはもうやめよう。 というわけで、いつ消え去るかわからない貴重な畑の姿を、宅地化される前に記録に残しておくことにした。 撮影年:2008年5月 北沢川沿いの畑
烏山川 烏山川沿いは、八幡山あたりまであまり畑は残っていない。国士舘西にあるのだが、完全に住宅地に囲まれた農家の裏にある。八幡山あたりからぼちぼち見受けられ、粕谷や北烏山はある程度残っている。
三鷹市北野から新川にかけては、一区画1ha以上ありそうな広い区画の畑も多い。屋敷林の巨木に囲まれた農家も点在し、東京とは思えない。 以下は、北野に今も残る武蔵野の森と畑のようすだが、できればこのまま生産緑地として残ってほしい。
追記:2010/5 このページを作成したとき、地元農家の人からメールをいただいた。 ・多くの農家が65歳以上になり、後継者がおらず、高齢化の問題が深刻だ と都市部での農業の問題点を指摘していた。 都市部で農家を継ぐ場合の相続税問題については、『都市農業を守る』(蔦谷栄一著 家の光協会)でも指摘されている。千葉の農家の知人からは、一代飛ばす(孫を祖父の養子にする)話を聞いたことがある。結局このへんがネックで畑が消えてゆく気がする。 三鷹市牟礼には、丘全体が畑や果樹園になっている一帯がある。丘に登ると山里に来たかのような錯覚にとらわれる。裏は玉川上水が流れる。
北沢川と烏山川 国分寺崖線: 野川 東 西 仙川 中仙川 丸子川 東京の里山: 町田 日野 長沼/柚木 鑓水/七国 片倉/東高尾 あきるの
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