東 京 里 山 尾 根 歩 き 5
(町 田 西/八 王 子 南)

 鑓水から七国峠にかけては、八王子から横浜港へ絹を運んだ「絹の道」が何本か通っている。「絹の道」としては、絹の道資料館前を通り北野台へ向かう鑓水峠の道が整備され有名だが、御殿峠や七国峠を南北に通る道も絹の道だったという。さらに多摩美大の北にある小さい尾根にも、十文字峠と書かれた札に「絹の道」とあるのを見つけた。絹の道はあちこちにあったらしい。

 鑓水から七国峠にかけての標高は前ページ長沼公園−柚木とほぼ同じで、御殿峠183m、七国峠223m。雑木林、竹やぶ、植林された人工林など。

 なお、鑓水周辺は八王子市、御殿峠、七国峠から南は町田市になる。

目次: 鑓水周辺  御殿峠  七国峠

多摩丘陵2017-2018年編:  稲城/七尾  多摩ニュータウン  よこやまの道南  よこやま南2
   柚木/鑓水  北野/みなみ野  館町/寺田/七国


鑓水周辺

2010.5 2011.2
 野猿街道から分かれた大栗川沿いの道に平行して、多摩美大の北向かいあたりに小さい尾根がある。25000分の一地図によればここにも尾根道があるようなので行ってみた。


左上:ふもとの集落から尾根へ上がる道
右上:尾根に出ると「十文字峠」「絹の道 鑓水郷」と立て札にある。また尾根の西を指して「西村岳」東を指して「市川岳」との標識

西村岳方向へ行ってみた(左下)。左下に示すようにアズマネザサが侵食し、かなり荒れている。しかし道はクリアで見失うことはない。背丈以上のアズマネザサが大量に倒伏し、かきわけるより這いつくばってくぐるしかないところも。鉈を持っていればと思うが人の土地だし、あれもやりだすと時間がかかったりする(さらに、藪漕ぎでなく里山での作業として払う場合の話だが、アズマネザサは硬く足を引っ掛けると危ないので、出来るだけ根元から刈るよう指示される)。尾根道はさいご、国道16号に下りた。

右下:市川岳方向の入り口付近。この先はまだ行ってみていない





十文字峠を越え、集落に下りる
集落の道を川沿いに西へ進む(右上)と墓地裏に出る

地図によれば十文字峠の絹の道の続きが
集落の北の丘陵にあるはずなのだが
探してみても見当たらない

小さい支脈尾根の西脇に、おそらくここが
入り口ではないかと思われる箇所があった
しかし半端なく荒れている
結構距離があるので、藪こぎも大変そう
というわけで今回はあきらめた



左上:絹の道資料館   右上:鑓水峠の絹の道入り口
説明板には、横浜開港から鉄道開通までの間、八王子だけでなく長野群馬山梨方面からの絹も運んだ道、とある。当時は「浜街道」と呼ばれ、「絹の道」は昭和20年代に研究者がつけた名だという。鑓水が有名なのは生糸商人が多くいたためらしい。
右下:道了堂跡の東脇の道(北野駅方向)




十文字峠尾根と御殿峠の間にある、バイパスと国道にはさまれた丘にちょっと寄り道(上)
この丘と御殿峠/七国峠の尾根道とはバイパスを跨ぐ橋(左下)でつながっているが、逆は頂上で行き止まりで鑓水側へ抜けることはできない。丘上は菜園だった。

御殿峠

2010.5 2011.2


鑓水と御殿峠/七国峠の尾根道は、八王子バイパスと国道で分断されており、尾根に入る道は御殿峠近くか、橋か、南の住宅街からしかない。また、橋近辺に登り口はない。
そこでまず、御殿峠への尾根に中ケ谷戸東端の住宅街から入ってみた。右上:坂上より南西を望む−写真では薄いが丹沢方面の山が見える

下、右:尾根をたどる遊歩道。このあたりは整備され
アップダウンも少なく地元の人がよく散歩していた
下の写真、車止めのある道が御殿峠への道 直進が七国峠方向





上:今度は中ケ谷戸西端の山道を登って尾根に入ってみた。住宅街北端の陽田方向への尾根も歩けそうだが(右上)、今回は御殿峠方向へ直進
アーチェリー場のため立ち入ると危険、と書かれたバラ線脇を北へ進む





やがて先ほどの車止めから来た御殿峠への道と合流
そのまま御殿峠方向へ進む(左上)

途中、資材置き場の脇からバイパスふもとの集落へ
下りる道がある
だんだん道は細くなってくるがアップダウンはほとんどなく
歩きやすい(右上)

尾根道は日本閣前を通る切通しで分断されて終了
実は最初、日本閣前側から御殿峠道の入り口を探したが
見当たらなかった
唯一それらしいのが、トラロープが吊るされた箇所
(左:写真ではさほどに見えないが結構急斜面)
まさかこれじゃないよね、これは相当荒れてそうだなと
南から入ってみることにしたのだ

それが途中出会った老夫婦に出口について尋ねたところ
「ちょっと荒れてるけどね、下りられるよ」
「まさかあのトラロープですか?」
「そうそう、道行く人に『気をつけて下さいね』と言われるけどね」と、こともなげに言った。
本来の御殿峠は日本閣の敷地内にあるらしい。またこの道は、中世の鎌倉古道の跡である”堀割状遺構”が良好な状態で残る、貴重な道だという。確かに尾根道の西側に平行して広い溝が延々続いていた。このときは知識がなかったので、山道でよくある、雨水が集まりえぐった跡かな、それにしちゃ大きいし長いが、湿地っぽいのかな、と考えてしまっていた。(七国峠の鎌倉古道の写真はこちら)
御殿峠の遺構についてはこのサイトが詳しい: 多摩丘陵に残る町田市相原の御殿峠古道
サイトにもあるが、御殿峠の由来は”機家が立派な別荘を建てた”、”藍原孝遠の館跡”、”按察使大納言の御殿があった”、”茶屋の屋根の形から”と諸説あるらしい。また武田信玄勢が滝山城(滝山城址)攻略後、小田原城をめざして進軍した道だという。

左下:国道の御殿峠

この先、北へ片倉方向へと尾根は続くので、行ってみることにした。日本閣敷地内は通れないため、集落を抜け、資材や物流関連の巨大保管施設が延々並ぶ尾根道に入る(右下)





保管施設がなくなり、雑木林の中をゆく
林の中にぽつぽつ家屋が点在するが、廃屋も多い

最後の家の先から舗装は終わり、さらに道は狭まった

地図にある道だが、さいごは草まみれの状態(左)
夏は歩けなさそうだ

尾根は、「八王子みなみの」へ向かう大通りで分断される

写真に見える白い手すりが車道へ下りる階段
道が荒れている割りには崩れておらず、立派な階段だった

道路をはさんだ向かいに、再び尾根に登る道がある
頂上は住宅地で、多少土の尾根道もあるが、
住宅地の中、舗装された車道を下って国道16号に出た



七国峠

2010.5 2011.2
 白い車止めのY字路を直進すると、中ケ谷戸西端から入る道に合流する。途中、西へ下りる分岐があり、ここを下りると作ヶアラク(人の下に番の漢字)集落に出た。南北に走る谷底の車道を渡った向かいに、七国峠へ向かう尾根道の入り口がある(左下)。旧鎌倉街道とある。
 こちらの尾根はアップダウンがあり、道幅の狭いところも多く、多少登山じみてくる。マウンテンバイクがよく通るようで、轍の跡が何本も残っており、実際乗っている人も見かけた。山道ランニングしている人もいる。





平成元年の5万分の一の地図では、北は小比企町までずっと丘陵地帯で山林が続き、結構山深い感じだった
それが今回(平成22年)、道の北、八王子市側がざっくり削られており、何やら建設中
下:同地図によれば、奥に見える緑の島まで里山はつながっていたはず
こうして里山は分断されてゆく




左:道脇に植わる檜 境界木のようだ

道標を初夏にとった写真
同じ場所を冬撮影した写真が下のほうにある

 左:出羽三山供養塔(湯殿山羽黒山月山とある)
 この塔の下が十字路になっており、七国峠
 下:大日堂 十字路の北80mほど上ったところにある





大日堂から西へ下る道を行く 右:街道の両脇に植えられた杉
家政大前に出た  下:家政大側入り口にある植林の杉林
この近くゴルフ場脇に有名なジェラート屋がある




南側の真米から七国峠の尾根に登ってみた
この道も古い鎌倉街道で、”1キロメートル以上のまとまった距離を中世のままの姿の道を見ながら歩くことができる”関東でも珍しい街道遺構だという。



 左上の切通し状の道(堀割状遺構)が、鎌倉街道の特徴だという。道両脇の土手に登ってみるとその先は斜面になっており、道そのものは尾根道だ。ただ道を掘り下げてあるので両脇が土手で見通しがよくない。尾根歩きのすがすがしさはない。馬が斜面を転げ落ちたり(檜原の浅間尾根などでときどきあったと聞く)歩行者が強風に煽られることはなさそうだが、追剥ぎも出たであろう昔、谷底状態の道なんて、怖くなかっただろうか?
 この道についても先のサイトが詳しい:多摩丘陵・町田市相原の七国峠古道
 七国峠の由来は”七つの国を見渡せるから”、音の変化(ナナマガリ(七曲)→ナナキョク→ナナコク→七国)と二説あるらしい。

 いったん車道に出て(右上)、再び鎌倉古道に入る(左下)。途中、相原中央公園から登ってくる道と合流し、出羽三山供養塔の十字路についた(右下)。
 サイトにある詳しい説明板は現在(2011)なくなっている(昨春来たとき既になかった)。朱雀路などの立派な道標もなくなっていたし、さらに前回は御殿峠への分岐付近で見かけた道標も、今回見かけなかった。標識や説明板が減ってゆくとは、通常と逆コースと思うのだが、この道は一体どういう扱いになっているんだろう?

一方、別のサイトによれば、尾根の随所にあり(おそらくハイカーにより)”ことごとく破壊されていた”という「住宅都市整備公団」の看板、「関係者以外立入禁止」の看板は、前回も今回もまったく見かけなかった。




左上:昨年初夏に撮影したのと同じ場所の冬の風景
右上:七国峠を北、ニュータウンが開発された方向へ進む。ここも鎌倉古道で、堀割状の古い道が続く。
左下:道は突然終わった。この先はばっさり削られ、集積場か保管施設だか巨大な倉庫が並んでいた。
実は直進道はこの手前でロープが張られており、いちおう立ち入り禁止。現在の道は西へ左折し水道施設脇から舗装道に出る(右下)。ポールに「七国の尾根緑地」とある。



このポール脇から相武カントリー倶楽部脇の車道に
下りる道がある
草にまみれているが、コンクリートの階段の状態はよく、
下りきった下にも「七国の尾根緑地」のポールがあった
(写真左)

里山を歩くと、ゴルフ場や電力施設、廃棄物処理場を囲む
フェンス脇を延々歩かされるケースも多いが、
なぜそうなるのかよくわかる道だった

道は境界をなしていることが多い

七国峠を東西に抜ける尾根道(旧鎌倉街道)も、
八王子市と町田市の境になっている

持ち主が異なれば開発方法も異なる
山全体が残されることはなく、片側がざっくりゆく


hidari.gif 長沼/柚木片倉/東高尾 migi.gif


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