奥 の 細 道 3  岩手編

 日本ウォーキング協会の奥の細道ウォークに参加して歩いていますが、この大会では”平成”奥の細道ということで、芭蕉が回りたかったが行かれなかったという平泉以北も歩きます。芭蕉の歩いたコースを参照したい方は、平泉以降は山形編へ進んでください(平泉の項にリンクあり)。
 大会参加コースについては、参考に予定コースタイムを載せています。ただし、大会コースは団体歩行可能なルートが優先されるため、実際に芭蕉が歩いたコースとは多少異なります。また本文で”未参加”とあるのは大会コースだが参加しなかった部分、”未歩行”とあるのは大会コース外の意味です(つまり奥の細道ウォークでは大会コースでも完歩ではない。その他、コース内だが国道が狭く団体歩行困難箇所は全員バス移動箇所もある)。

 岩手に入ると、世界遺産に登録された平泉周辺の遺跡を見ながら、広々とした北上川流域を遡ります。盛岡から先は、岩手山や姫神山を望む雄大な景色です。



石越−花泉11km  未歩行

花泉−一関−平泉

コースタイム:花泉支所8:50−金沢宿跡9:15−JA直売所10:20−真柴ふれあい交流館11:20(休)−一関駅12:10−芭蕉の辻碑−松尾芭蕉二夜庵跡−12:45磐井川河川公園(昼)13:30−平泉駅14:50(休)−伽羅之御所跡−柳之御所跡15:25−高館・義経堂15:35(休)−卯の花清水−旧観自在王院庭園16:20
歩行距離:25.5km



花泉から一関への道  4月末、春爛漫






左:金沢の宿   右:一関郊外 二夜庵

金沢は小さい集落だが、宿場町としての町並みをきれいに整備していた。
二夜庵は松尾芭蕉ゆかりの史跡






左:磐井川   右:一関市内






左:柳之御所跡   右:高館・義経堂(判官館)


柳之御所は、奥州藤原氏の政庁(平泉館)と考えられているところ。
近くに藤原秀衡、泰衡の居城と伝えられる伽羅御所跡もある。

義経堂は小高い丘の上にある。源義経の居城があり、さいご妻子とともに自害したと伝えられているところ。
松尾芭蕉の有名な「夏草や 兵共が 夢の跡」はここで詠まれ、句碑がある。
仁王像は西日本では見られない、東北らしい造形。
たかだて、ほうがんだて、いなかだて、などの”だて”のついた地名は、岩手、秋田に多く見られる。






左:義経堂から北上川を望む   右:厳美渓






毛越寺  中尊寺が有名だが、ここも庭園の美しい寺

 松尾芭蕉は平泉を訪問したあと、南に戻り鳴子温泉峡から日本海をめざします。ウォーキング協会主催の奥の細道ウォークは”平成”奥の細道として、芭蕉が回れなかった岩手北部から青森、秋田を回ってから、宮城県有壁より山形を目指しています。ここから下は番外編コースになるので、芭蕉の歩いた道を参照したい方は、山形編1へ進んでください。

平泉−水沢−金ヶ崎

コース予定タイム:旧観自在王院庭園8:35−義経妻子墓8:50−中尊寺9:00(10:00まで)−牛の博物館10:50−前沢駅11:45−12:15いきいきスポーツランド(昼)13:00−松の木沢川13:55−真城公民館14:35(休)−水沢公園−胆沢城遺跡−金ケ崎駅(注:水沢公園以降は自由歩行のため予定時間設定なし)
歩行距離:30.5km




左:衣川   右:胆沢城跡

岩手、秋田には古代の城柵跡が多く残っている。

胆沢城は、アテルイを降伏させた延暦21年(802年)、桓武天皇によって築かれ、鎮守府も多賀城から胆沢に移った。このあと、盛岡に近づくにつれ、さらにいくつかの城柵跡を国道沿いに見ることができる。

水沢市内で行われていた山車のお祭りの様子








(番外編) 北上−花巻−盛岡

 この部分は大会に参加せず、独自にコースをとって歩きました。主なルートは北上−花巻−石鳥谷−紫波−矢巾−盛岡です。



左:宮沢賢治の生家   右:

花巻郊外に宮沢賢治関連の施設がいくつかある




徳丹城跡

徳丹城は、古代律令国家最期の城柵とされている。北上川が氾濫したため、志波城を移転することになり、ここに造営された。
国道をはさんだ向かい側に歴史民俗資料館があり、詳しいパンフレットがある。隣には立派な南部の曲屋も建っていた。

古代東北の城柵
渟足(ぬたり)柵大化三年(647)日本書紀
磐船(いわふね)柵大化四年(648)日本書紀
都岐沙羅(つきさら)柵大化三年(658)日本書紀
出羽柵大化三年(709)続日本書紀
多賀柵天平九年(737)続日本書紀
牡鹿柵天平九年(737)続日本書紀
新田柵天平九年(737)続日本書紀
色麻(しかま)柵天平九年(737)続日本書紀
玉造柵天平九年(737)続本書紀
小勝(おかち)城天平宝字二年(758)続日本書紀
桃生(ものお)城天平宝字四年(760続日本書紀
阿支太(あきた)城天平宝字四年(760大日本古文書
伊治(いじ)城神護景雲元年(767)続日本書紀
(かくべつ)城宝亀十一年(780)続日本書紀
多賀城宝亀十一年(780)続日本書紀
秋田城宝亀十一年(780)続日本書紀
由利柵宝亀十一年(780)続日本書紀
胆沢城延暦二十一年(802)日本紀略
志波城延暦二十二年(803)日本紀略
中山柵延暦二十三年(804)日本紀略
徳丹城弘仁五年(814)日本紀略

出典:矢巾町教育委員会「徳丹城跡」パンフレット


左:安部館(厨川城跡)   右:巣子の松街道


1062年、前九年の役で安部氏一族が滅亡した厨川柵跡とされるところ。安部頼時、貞任、宗任父子が源頼家、義家父子に征討され、源氏が東国に勢力を築く契機となった。
北上川沿いの、やはり小高いところにある。盛岡市内に、前九年という地名がある。

巣子の松街道周辺には、東北農業研究センター、家畜改良センター岩手牧場、岩手大学農場など、県や大学などの広い農場が続く。


(番外編) 盛岡−渋民−好摩   渋民への道

コース予定タイム:盛岡駅8:30−館坂橋9:00−上堂角(安部館−前九年の役)9:25−総合運動場9:50(休)−巣子の松街道入口(奥州街道)10:35−滝沢分れ(津軽街道との分岐点)11:25−11:40盛岡農業高校(昼)12:30−渋民船田橋13:50−渋民公園(啄木記念館)14:15(休)−好摩駅15:40
歩行距離:25.5km


左:岩手山をのぞむ   右:姫神山

盛岡から好摩、葛巻高原にかけて雄大な景色が続く。






上2枚:石川啄木記念館
渋民は北上川に沿って広々としたところにあり、
予想していたよりも開けた明るい町だった。

左:好摩駅
 駅にいた老人たちの会話がまったく聞き取れなかった。なまりは動詞や形容詞に強く出るので、それらは聞き取れなくても、たいてい名詞はいくつか聞き取れるものだ。”学校”だの聞きなれた単語が出てきて、詳しい内容はわからなくても話題の見当はつく。
 ところがこのときは、一言もわからなかった。当然何の話をしているのかわからない。海外でいきなり聞いたら、日本語だと気づかないのでは、とすら思った。



歩行年:2006

奥の細道: 東京−福島 | 宮城 | 岩手 (番外編:北岩手|青森|秋田
東山形 | 西山形 | 月山 | 新潟北 | 新潟南 | 富山 | 石川 | 福井東 | 福井西 | 滋賀 |

徒歩旅行:四国へんろ    東海道

里山:[町田/稲城/日野/八王子/あきるの/高尾/日の出]  川:[国分寺崖線][世田谷の川]
近郊の山:[檜原/上野原/秋山/奥多摩/奥秩父/丹沢]  [六甲/八ヶ岳/南アルプス/北アルプス/富士山]
国内: [木藤古/上ノ山/椎葉村] [岩手端神/高知椿山][北軽井沢/小川原湖][ローカル線]
民俗: [木地屋の里][家船の島][銀鏡神楽/西米良][北海道]


 | モンゴル | チベット | ラダック | 東北インド | 中国 | 1999北京 | ミャンマー | 台湾の廟 | 韓国 | 台湾2009 | 
 | マザーテレサ | シッキム | ハワイ | タイ | クルーズ | アメリカ | ドイツ | キプロス | スイス | イタリア | 
 | 小笠原 | 四国へんろ | 国内 |  | 震災 | 雑穀栽培 | 林業 | 就農 | 銭湯記 |
ミャンマー歌手 |  北京放送 | 

ホーム    What's New