奥 の 細 道 10  新潟編2

 しばらく日本海を臨む海岸沿いの美しい道が続きます。原発事故の翌年だったので、申し訳ないけど柏崎原発の周辺は歩きませんでした。柏崎以南は山がちの海岸線で、有名な親不知子不知の海岸沿いを歩きます。


野積−寺泊−出雲崎  (新潟県)

早朝海岸を歩く。あちこちでキスを釣る人がいた。今年は海水温が高く、あまり釣れないという。このあたりの砂浜は遠浅でなく急に深くなっているので魚がいる。海水浴に適した浜は宿のある北の一部分のみ。

左下:途中から防砂林の松林の中を分水路まで歩く

右下:寺泊の町







上:金山、大和田などの漁村をゆく     右上:良寛が半年住んだという空庵跡(郷本)
左下:寺泊方向を望む    右下:海岸沿いにある墓





左上:もずく漁?   右上:出雲崎の町の入口。この通りは北国街道、出雲崎は宿場町だった
右下:良寛生誕地





左上:芭蕉園 説明書によれば、芭蕉はこの向かいの旅人宿に宿泊したという
右上:出雲崎の町並み


柏崎−高田  (新潟県)

出雲崎−柏崎間は、原発脇を延々歩くのが嫌でカットしJRで移動。田中角栄の出身地という西山も興味はあるのだが・・・
左下:柏崎 鵜川  柏崎の西の岬に番神堂がある    右下:国道(鯨波駅付近)





左上:海沿いに走る信越本線    右上:日本でもっとも海に近い駅という青海川駅

鴎ヶ鼻のところにドライブインがあり、大勢の人で賑わっているので寄ってみた。ジェラートを売る店があり、300円でカップに3玉入れてくれる。ボリュームがあり、おいしい。一気に汗が引いた。

柿崎から浜を歩く

山形県吹浦のあたりからところどころ、海岸沿いに風車が立っているのを見かけるが、
ここでも風力発電の風車が回っているのが見えた(安い広角カメラの写真では小さくて見えない)

左下:黒川神社
右下:米山を望む 標高は低いが、奥州山脈は全体に低山なので目立つ







このあたりも潟だかため池が多いので、ちょっと寄ってみた  左上:坂田池  右上:長峰池
左下:長峰池周囲の丘陵には畑が広がる   右下:朝日池





左上:潟町駅前にも池があった  右上:犀潟の町



左上:直江津 新幹線が開通するためかモダンな新しい駅舎 町には雁木が残る
右上:高田駅 こちらも改装したようす
左下:雁木風アーケードの本町通り この一本北に古い雁木通りが残る
右下:雁木通りの駅寄りで見かけた桶屋 子供の頃(昭和40年代)使っていたような木の風呂桶があったので懐かしく、撮った




筒石−糸魚川  (新潟県)

 先を急ぐので直江津からJRを利用。当初名立から歩く予定だったが、筒石駅が地下駅だと聞き、こちらで降りることにした。



左上:筒石駅構内  右上:待合室 冬は寒そうだ・・・いや、むしろ地下だから吹雪の地上よりも暖かい?
左下:かなり階段を登る エレベーターはない    右下:この峡谷の奥に筒石駅がある
鉄道ページで新筒石駅について解説しています(他の写真もあり)。ちなみに数人乗り降りしていました。





左上:筒石観音堂 隣に立派な寺もある   右上:筒石の集落 いかにも漁村という風景
左下:筒石漁港   右下:海岸沿いの国道(糸魚川方向を望む)





筒石から海岸沿いの道をゆく。自転車歩行者専用道路があり、国道歩きをせずにすむので歩きやすい。よく整備されているな、奥の細道ウォークの人が多いのだろうか、と暢気に考えていると、ふと道端の倉庫敷地内脇に旧筒石駅の記念碑を発見(左上)。ということはここは線路だったのか。雪が多いだとかの理由で内陸のトンネル路線に付け替えられたのだろうか?(後で調べると、崖崩れ多発などのためらしい)なるほどよく見れば自歩道は線路跡に見える(右上)。
旧北陸本線について、鉄道ページで解説しています(他の写真もあり)

左下:藤崎の集落   右下:百川トンネル





百川で道端に腰掛けていたお婆さんに、線路のことを聞いてみた。子供の頃、左上写真の車道側を列車が通っていたという。いつ頃トンネル路線に変わったのか聞くと、随分昔のことだ、新筒石駅には一度だけ行った、すごい階段だったと言った。
ところでこの自歩道はちょうどいい散歩道になっているようで、百川トンネルや白山トンネル内も結構老人だの人が歩いていた。
右上:能生の白川神社   左下:能生の町並み



能生でも老人に旧北陸本線について聞いてみた。自歩道は旧北陸本線跡地で、浦本から谷浜まで続いているが、はっきりわかるのは有間川までだという。旧能生駅はどこにあったのか尋ねると、役場支所向かいに体育館がある、ちょっと高くなっておりそこが旧駅のあったところだという(写真右上)。行ってみたが、記念碑などは見当たらなかった。
新能生駅へ行くと、ちょうど糸魚川線開通100周年能生駅開業100周年で、古い写真が展示されていた。見ると昭和44年9月の日付まで旧筒石駅や旧線の写真があった。

左下:梶屋敷付近の旧道  右下:糸魚川のヒスイ海岸の夕日 海岸は波消しブロックだらけ




糸魚川−市振  (新潟県)

古い雁木が残る糸魚川の町並み(右)
一方、駅前には百均のCandoがあった

 姫川の橋のたもとで、カラスがしょっちゅう車道に出ていた。何にこだわっているのかと近づくと、くるみをくわえている。くわえたまま考え込んでいるようす、やがて路面に置き、歩いて歩道に戻る。車が通り、うまく割れた。さっそく車道に下りて食べ始める。しかしここは国道、車の通行量も多い。トラックが近づくが夢中で食べている。どうなるかと見ていると、トラックが減速、カラスも走って歩道へ逃げた(飛ばない)。橋のたもとの信号が赤になり、車が次々一時停止する。するとカラスも出てきてさっそく食べ始める(写真下)。信号が青に変わり、車が動き出す。カラス、まだ食べている。トラックも徐々に動き出し、ようやくカラスも歩いて戻る。
 このカラス、トラックや車の運転手の厚意で車に轢かれることもなく、くるみを食べることができている。この調子では爆走されたり急発進されたら轢かれそう。この一羽のみか、今年のみか、毎年やっているのか不明だが、それにしても話には聞いたことがあるものの、カラスのくるみ割りを初めて見た。

右:さまざまな色の石が敷き詰められた姫川の川底
この中にヒスイなど貴石もあるのかも





左上:勝山大雪崩遭難碑 最初の洞門手前にある   大正11年(1922)4m余の豪雪となり、大勢の作業員が市振−青海間の除雪作業に従事していた。2月3日夕、作業員を乗せた列車が勝山トンネル西で大雪崩に襲われ、死者73名負傷者32名を出す大惨事となった。この碑は犠牲者の救護に当たった糸魚川の医師安藤俊夫氏が建立したものだと説明版にある。

国道の洞門内は白線で確保された歩道幅も狭く、あまり歩きたくない。そこで海岸を歩いてみることにした。海岸に出るには国道や線路を越える必要があるが、ところどころトンネルがあるそうで、地元の人に遭難碑からすこし戻った倉庫敷地奥の随道を教えてもらう。
右上:洞門下の海岸(左上に国道の洞門が見える)    海岸には磯釣りだの石拾いだので人が結構いる。岬で上に登る人を発見、いったん登って岬を巻きドライブイン跡に出(車が何台も停まっていた)、左下写真の降り口から再び海岸へ降りたが、干潮なら岬下を歩ける感じだ
右下:海岸に寄せる波と波消しブロックのようす



 しばらくコンクリ上だの浜だのを歩く。前のほうを磯釣りの若者らが歩いているのでついてゆくと戻ってきた。「上からは無理です、下から行くしかない」とのこと。しかし下で歩けそうなコンクリ上には既に波が被っている。皮の軽登山靴を塩水で濡らしたくないのでここであきらめたが、二人はそのまま進んでいった。海岸にいた石拾いの男性にこの先の道について尋ねると、「うん、しばらく行ける」「先で上に上がる道ありますか?」「いやー、その先途中切れとるんやね、最後までは行かれんでしょ」と言う。結局左上写真の降り口まで戻って洞門内を歩くことに。



左上:親不知駅そば 歌集落     右上:親不知高架橋 ここは歩道が整備され歩きやすい
 この先に道の駅があるので立ち寄り、地元名物というたら汁を食べヒスイの勾玉を買う。石拾いの人が大勢来ており、店の人が1万円くらいする、という原石を拾った人もいた。その際、周囲に海の道について聞いてみた。「今は歩けない」というので、子不知で磯釣りの男の子らが奥へ進んでいった、長靴か渓流足袋があればひょっとして行けるんじゃないかと言うと、「磯釣りの人でしょ。本当は地元としては来てほしくないんだよね。特に一人では来てほしくない。波にさらわれても誰も助けられないから。磯釣りの人は勝手知ってるしあまり一人では来ないから」「今引いているけどこれだけ(波が)来ている。冬はだめ、今どころじゃない波だから」「夏の土用のあとしばらくベタ凪になる。全然波がない。歩くならその頃。膝まで水につかっていい格好で行けば行けるかもしれない。でも地元としては薦めない」この行けるかもしれない、というのは、あくまで子不知から道の駅あたりまでの話で、その先、いわゆる昔も難所だった親不知から浄土までは今は無理だろう。
 ところで勾玉とは、いわゆる曲がった形のものを指すのかと思っていたら、円形で中央に穴のあいたドーナツ形のものも勾玉だという。曲がったものは陰陽を表し、女子は身に着ける数が一つでもかまわないが、男性は二つ着けないといけないと聞いた。



左上:洞門内部   右上:親不知海岸 展望台から
ところでこの国道の洞門は、山形最上川沿いの洞門と異なり、鉄骨を支える土台上を歩くことはとても無理だ。まず3mくらいあるので登れないし、鉄骨脇はすぐコンクリの壁で歩くスペースもない。場所によっては急斜面のため、土台そのものが斜めになっている。
最初は洞門内をてくてく歩いていたが、洞門数も多くトラックもよく通る。向こうも避けるのが迷惑だろうしこちらも怖いので、できるだけ洞門内の時間を短縮しようと車が途切れると走ることにした。なんだか、昔は波の合間を縫って走り、今は車の合間を縫って走る感じだ・・・。なお、天険トンネルは歩行者自転車はトンネル内を通行せず海岸沿いの旧道を行く指示になっているので、最難所だった区間をのんびり行ける。トンネルを抜けると、昔海岸沿いの道をここまで来れば一安心したという浄土だ。



左上:市振集落の入り口にある海道の松
洞門内を走ったおかげか、予定よりも早く到着

右上:市振の町並み

左:芭蕉が宿泊したという市振宿桔梗屋跡




歩行年:2012夏−秋

奥の細道: 東京−福島 | 宮城 | 岩手 (番外編:北岩手|青森|秋田
東山形 | 西山形 | 月山 | 新潟北 | 新潟南 | 富山 | 石川 | 福井東 | 福井西 | 滋賀 |

徒歩旅行:四国へんろ    東海道

里山:[町田/稲城/日野/八王子/あきるの/高尾/日の出]  川:[国分寺崖線][世田谷の川]
近郊の山:[檜原/上野原/秋山/奥多摩/奥秩父/丹沢]  [六甲/八ヶ岳/南アルプス/北アルプス/富士山]
国内: [木藤古/上ノ山/椎葉村] [岩手端神/高知椿山][北軽井沢/小川原湖][ローカル線]
民俗: [木地屋の里][家船の島][銀鏡神楽/西米良][北海道]


 | モンゴル | チベット | ラダック | 東北インド | 中国 | 1999北京 | ミャンマー | 台湾の廟 | 韓国 | 台湾2009 | 
 | マザーテレサ | シッキム | ハワイ | タイ | クルーズ | アメリカ | ドイツ | キプロス | スイス | イタリア | 
 | 小笠原 | 四国へんろ | 国内 |  | 震災 | 雑穀栽培 | 林業 | 就農 | 銭湯記 |
ミャンマー歌手 |  北京放送 | 

ホーム    What's New