奥 の 細 道 4
(番外 北岩手編)

 当初参加していたウォーキング協会主催の大会では、”平成”奥の細道として芭蕉が回れなかった岩手北部から青森、秋田も歩きます。ここでは番外編として紹介していますが、芭蕉の歩いたコースに興味のある方は、山形編1を参照してください。

 当時新幹線は八戸まで開通していましたが、盛岡以北の途中駅は交通の便がいまいちで、大会期間の前日翌日に宿泊するか、安くすませるなら夜行バスを利用しないと難しいところもありました(青森秋田に進むとさらにこの傾向は強くなる)。また北東北は芭蕉が歩いた道でないこともあって、大会日程に合わせるよりも、自分の都合がよいときに”埋め合わせ”で歩くほうがいい、という気持ちになり、これも後日大会から離れてゆく一因になったと思います。

 いよいよ北上川源流へ向かいます。全般に高原地帯を歩き、奥州街道が整備された峠越えも多く、よいハイキング道になっています。

(番外編) 好摩−奥中山

コースタイム:巻堀中学校8:30−永井橋9:30−働く婦人の家(園井恵子の像)9:55(休)−川口城址10:25−岩手沼宮内駅11:10−11:40道の駅・石神の丘(昼)12:30−御堂駅13:30−川の駅・御堂観音14:35(休)−馬羽松一里塚(奥州街道)15:05−摺糠地区15:40−奥中山農業センター16:05
歩行距離:27km

好摩から北上川源流への道

北上川、いわて銀河鉄道、国道沿いにしばらく広々とした土地を行く。沼宮内の手前から山がちになってくる。




園井恵子の像

岩手川口駅の手前、働く婦人の家に、広島の原爆で亡くなった宝塚女優の銅像がある。さくら隊に参加したときに、広島で原爆にあい、亡くなった人がいる話は聞いていたが、岩手出身とは知らなかった。像の解説に、原爆にあった後、”病気が治ったら、お国のために頑張る積もりです”といった内容の手紙を書き、その数日後に亡くなったという。おそらく症状はひどかったと思われるが、回復して舞台を続けるつもりだったことに、さまざまな思いが募る。            戦跡目次







右:川の駅   左:御堂観音

ここが北上川の源流とされているところ。奥の細道は国道や鉄道を離れ、山中に入ってゆく。
このあたりは、奥の細道の古道が残っていて、よく整備されている。




右:馬羽松一里塚

江戸時代の道に比べ、現代は車を通すため道路を拡張していることが多いので、
左右両方に一里塚が残っているところは少ない。ここも片方のみ。




奥中山への道



摺糠地区近辺

(番外編) 奥中山−一戸−二戸−金田一

コースタイム:奥中山農業センター8:30−摺糠地区9:00−奥中山高原軽井沢プラザ10:05(休)−火行神社10:55−小繋一里塚11:10−11:45旧小繋小学校(昼)12:30−道の駅(小鳥谷産直センター)13:25(休)−小鳥谷駅(藤島の富藤)14:05−御所野縄文公園(縄文博物館)(休)14:55−一戸町役場15:55
歩行距離:24km



右:摺糠地区   左:一戸への道

盛岡以北は、旧奥州街道がよく整備されて残っているが、特に好摩以北は山中の道が、看板も整備されて歩けるようになっている。


右:火行伝馬所   左:御所野縄文公園

御所野縄文公園には立派な資料館があった。時間があればゆっくり見てみたいところだ。




一戸から二戸への道

コースタイム:一戸町役場8:40−越田橋(奥州街道一里塚)9:05−浪打峠(末の松山)10:05−二戸地区クリーンセンター(馬仙峡)10:25(休)−11:15九戸城址(昼)12:15−二戸市役所12:25−斗米駅12:50−堀野近隣公園運動場(歴史民俗資料館)13:05(休)−金田一温泉駅14:55
歩行距離:18km




途中浪打峠を越える。この奥州街道もよく残っており、ハイキングにちょうど良いコース。
右は地元の人によるお茶とりんごの接待。
この日はウォーキング大会に参加できるか直前までわからなかったため、当日参加となった。当日参加者は登録された本隊ではなくデイリー隊に入って歩くのだが、このときデイリー隊には地元の人が大勢参加していることを知った。奥の細道歩きではなく地元のウォーキング大会として来ている人たちで、地元の人たちと一緒に歩きながらさまざまな岩手自慢を聞くことができ、面白かった。

二戸市内に、田中館博士の家が残っている。物理学者だが、"ふ"の発音を"fu"ではなく、"hu"で表記する方式のローマ字を編み出したそうで、地元の福岡高校はHUKUOKAと表記する、と言っていた。斗米駅はかつて福岡という駅名だったという。福岡は二戸北近辺の地名で、よく九州の福岡と間違えられたとのこと。


左:金田一への道   右:九戸城

九戸城は、九戸氏が明応年間(1492〜1501)頃に築城。
秀吉は小田原城攻めに参加しなかった諸将を追放するため、奥州仕置を開始、それに対抗して九戸政実が挙兵した。九戸城は難航不落、5千の兵で善戦するものの、奥州再仕置軍6万が馬淵川に襲来。女子供と家来の命は助けるとの降伏勧告に開城すると、謀略で女子供も皆殺しにされたという。
これで秀吉の全国統一が完了、九戸城は南部氏に授けられた。

地元の人は、九戸政実をもっと全国の人に知ってもらいたい、と言っていた。
(以前、”そのとき歴史が動いた”で、このあたりの反乱を取り上げていた記憶がある。)
それにしても坂上田村麻呂の蝦夷征伐から前九年の役、奥州藤原氏滅亡(藤原氏側からみれば、義経のとばっちりを受けた感も)、奥州仕置、会津(や奥羽列藩同盟)など、東北は負け戦ばかりだ。


 金田一温泉駅へ行くと、地元の婆さんが3人ほど座っていた。「人を見に来た」と言う。「大勢来るというから何匹ぐらい来るか」「田舎じゃ大量の人間を普段見られないから」とケタケタ笑う。

歩行年:2006

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