奥 の 細 道 12  石川編

 倶利伽羅峠を越え石川県に入ります。金沢の寺町から松任へ、重機メーカーで有名な小松を通り、大聖寺から福井との県境を目指します。全般に、白山のふもと、広々とした田圃の広がる景色の中を歩きます。


石動−倶梨伽羅峠−津幡  (富山−石川県)

 福岡から1駅JRでカット、石動から旧北国街道を通って倶梨伽羅峠を越えて金沢へ向かう道を歩く。駅周辺は再開発で殺風景だ。

左下:埴生集落 古い町並み  右下:高畝にした畑。関西は粘土質なのか、高畝にしているのをよく目にする。





 埴生には木曽義仲の戦勝祈願で有名な護国神社がある。義仲の軍勢は神社脇の沢から倶利伽羅峠へ向かったそうだが、芭蕉の道は北国街道なのでもう少し南へ下がった先で倶梨伽羅峠への分岐を東へ登る(左上)。古道はさらにその南にあるという。
右上:西の砺波平野方向 見晴らしがよい



左上:義仲軍勢の通った沢を北に望む 北国街道は石坂集落の中を通る尾根道。北の沢方向へ「亜炭採掘地 100m先 昭和18年から23年まで」の標識あり
右上:石坂集落にて



左上:倶梨伽羅峠へ向かう山道の入口
石坂の再奥にある

右上:たるみの茶屋の跡
左:周囲はけっこう深山幽谷の趣がある
周囲の尾根の標高は200m台なのだが

 たるみの茶屋にあった解説によれば、北陸道は愛発の関から佐渡まで七国を通る道で越(高志)道ともいう。倶梨伽羅峠越えは加賀の参勤交代も通った道で、今石動は尾山と富山のちょうど中間に位置し、上りも下りも必ずここで1泊したという。




 左上:北陸道峠茶屋跡  右上:茶屋のすぐ下にある天池
 解説によれば、昔は峠茶屋に1,2軒家があり子育てしながら往来の旅人の世話をした、枯れることのない天池では米も作っていたという。
 石動駅には交番があり闇米を摘発したが、倶利伽羅駅は見逃してくれた、このおかげで戦後の食糧不足をみな生き延びられた、との古老の話もある。倶利伽羅の山の人は薪その他を持って高岡へ行き米などに変えて戻った、毎日5,6人山を下り戻ってきたとの話も(山村から薪を運び米に変えて戻った話は、東京の高尾山の裏あたりでもよく聞く)。



 山道は整備されており、とても歩きやすい。スニーカー程度で十分平気だ。
左上:砺波平野の語源となった砺波山265m 写真奥に棒で叩いて使う熊よけの缶がぶらさがっている。山道のあちこちにぶらさがっていたが、出るのだろうか?(低山で出そうにないが・・・)
右上:倶梨伽羅峠不動寺 芭蕉塚もある。倶利伽羅峠は木曽義仲が火牛で平家を破ったところ。

左:人気のない倶利伽羅の集落。空き家らしい家も目につく
しばらく車道を行く。
山森集落(左下)で、車道から旧北陸道が分岐する。
倶梨伽羅も山森も、午後の日差しの中眠っているように静かだ。電柱に地元の祭りのポスターが貼ってあったので廃集落ではないが・・・

右下:山道に入るが、竹橋への下りも整備されて歩きやすい






左上:旧道はいったん林道まで下り、横切って向かいの森に続く
右上:竹橋に出たところ  左下:竹橋集落 立派な日本家屋が多い。このあとは単調な国道歩き。
右下:津幡の町 北陸は庭木を手入れし庭石を配置したきれいな庭を持つ家が多い




この日は台風の影響で風が強まったため、津幡から金沢までJRで移動した

左:金沢市内 犀川大橋

(JR七尾線について鉄道ページに写真があります)



金沢−松任−小松  (石川県)

犀川大橋を通り寺町に入る
左、下:金沢市内の寺町のようす 和物グッズを売るお店も多い





左上:野々市にて 犀川支流を越える
右上:北陸鉄道の野々市駅 (北陸鉄道石川線の写真は鉄道ページにもあります)
下:駅西側の旧北国街道のようす 古い家並みが残る





 このあとはひたすら県道歩きで松任へ。松任駅は北陸新幹線が停まるようで、立派な駅舎ができていた(2013年はまだ開通していない)。駅前には松任出身の加賀千代女記念館がある。左上は駅南にある松任城址、一向一揆の鈴木某が治めた城とのこと。
 右上:村井のあたり 水路沿いに進み国道南を通る北国街道をめざす
 下:旧道に入る 庭木や盆栽を手入れしている家が多く風流だ。精神的な豊かさを感じる。暮らしやすさ指数でも北陸はいつも日本一かそれに近い順位が出ている。雪の多いイメージで給料も都会のほうが高いはずで不思議だが、来てみて精神的なゆとりがあるようだと感じる



 下:ひたすら田圃の中をゆく。耕地整理されたまっすぐな用水路(右下)





右上:白山のふもとをゆく

左上:手取川を渡る(かつての粟生の渡し)
川の南側たもとに手取フィッシングと遊園地があるのが見える。あとで調べると北陸最大規模のレジャーランドで釣堀やペットショップもあるらしい。
左:粟生の町並み 粟生はかつての宿場町

下:寺井もかつての宿場町、古い町
午後の光の中、眠ったように静かだ
瀟洒な住宅街が続く。距離的に小松に通う人も多いのではと推測






 小松に到着。ここに来て初めて知ったが、重機メーカーのコマツは地名から来ているんですね。今までなんとなく人名だと思っていました。



小松−動橋 大聖寺−吉崎  (石川県)

 芭蕉は小松から山中温泉や那谷寺へ向かうが、温泉は以前行ったことがあるので、北国街道を歩いて直接動橋へ向かうことにした。
 北陸本線西側の旧道(下)、古そうな町並みが続く。





コマツの工場西側を延々歩くところもある(左上)

右上:月津の町。このあたりの町はみな高台にあり、北国街道も丘の尾根を通っている。おそらくかつては湿地帯で、丘上に人家、低地に田圃だったのだろう。

左:月津の宿駅跡。月津は大聖寺藩の北の境で「合の宿」と呼ばれ(南の境は「橘の宿」)交通の要所だった、月津駅には馬が22頭おり、旅客や荷物を運搬していた、と説明板にある

左下:丘を下りると田圃が広がる。雨のせいもあるが、今でも湿地帯っぽい
右下:高塚の碑文。低湿地軟弱地盤ゆえ洪水の害や旱魃時の水争いも絶えず、昭和27年干拓事業に着手した、さらに平成に入り大区画化など高生産性圃場整備を行った、とある。







左上:七曲り街道の石碑。よくある敵の侵入を防ぐためのもの、動橋の道はわざと曲がりくねっている   右上:動橋駅 動橋−大聖寺間はカット



上:大聖寺の町 中心の大通りもこぎれいで感じがよい。百名山で有名な深田久弥の出身地
左下:全昌寺   山ノ下に寺がいくつも集まる一角にある。芭蕉と曾良が泊まったお寺

右下:大聖寺藩関所跡
大聖寺関は前田氏が加賀藩を治める前からあったが、大聖寺藩が置かれると加賀藩がこの関所を管理するようになった、平素は大聖寺藩の軽卒が番をし有事には加賀藩の士卒が守ったとある。夜中は一切通さなかったとのこと。
ここから少々登りで峠越えのようになり、再び下って低地をゆく





左上:三ツ町付近  右上:吉崎の町 ようこそ福井県へ、とある。同じ集落内で県が違うわけだ。




歩行年:2013秋

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