奥 の 細 道 11  富山編

 黒部四十八ヶ瀬と言われる豊富な湧水で有名な扇状地を横切って進みます。米騒動の発祥地魚津を経て、富山港をフェリーで渡り高岡に向かいます。


境−黒部−魚津  (富山県)

市振から境川を渡り、富山県に入った。境の関所場所について地元民に尋ねると、「小学校跡にある。池しかないよ」と言う。
左下:境川   右下:境の関所跡 説明書によれば境関所の厳重さは日本随一だったという。明治2年に関所は廃止、跡地は小学校となり、それも廃校となって関所跡の記念館になっている。関所当時の様子を残すという池はこの碑の左手にある(普通の庭園の池だった)。





左上:境の町並み 道の中央に融雪栓が並ぶ(山形、新潟あたりの旧道はみな同様だ)
右上:宮崎の海岸 あいかわらず石を探す人が大勢海岸に出ていた。宮崎駅前には廃業した旅館が2軒、日本海側を歩きながらずっと感じていることだが、寂れている。旅館があるということはかつてはそれだけ旅行客が来ていたということで、日本全体に衰退感、縮小感がある
左下:元屋敷付近 糸魚川の先青海以降、ずっと左手に迫っていた山と別れて平野に入る
右下:黒部川の扇状地平野に広がる田んぼ





左上:黒部川の扇状地は黒部四十八ヶ瀬と呼ばれ、川の支流が数多く枝分かれしている
右上:湧水公園  なにやら小型ピラミッドだのギリシャのパルテノン神殿じみた円柱だのが見えてきた。新興宗教の施設でもあるのかと思いきや、行政による湧水公園でした。黒部は北アルプスからの湧水が多く湧き出るので有名らしい
左下:黒部川   右下:橋の電灯上に立つカモメ



左:魚津駅 駅前広場に秋田のような竿灯が立っていた。魚津にも竿灯があるのだろうか

ところで町の規模というか状況は、地図からは判別しにくかったりする。泊、入善には市街地があるものの宿は少なくホテルはない。一方黒部駅周辺は市街地はないのにホテルや宿がいくつもあった。この日、休日とあってか当日夕方の電話ではなかなか宿がとれず、魚津でやっと空きが見つかり泊まることができた。
 昔、黒部四十八ヶ瀬は通るのに大変だったという。上道と下道とあり、上道のほうが川を渡る回数が少なくて済んだ。しかし今では道は整備され、小川の存在をまったく感じず平坦な道を歩くことができる。耕地整理のおかげで細かい支流も定規で引いたように直線に流れ、人工的な用水路となんら変わらない。

 旧国道沿いを歩いていると、明治天皇小休所の碑をよく見かける。尾花沢でも見たし、今回も犀潟あたりや宮崎の街中で見かけた。昭和天皇も終戦直後日本中を回ったが、明治天皇も明治の早い時期に回ったようだ。国を立て直す、新たに作り出す必要のあるときに回るのだろう。




魚津−(富山)−高岡  (富山県)

魚津の町は結構大きい。宿も良かったので印象の良い町。
魚津駅から私鉄の富山地方鉄道に乗ってみた(左下、新魚津駅 富山地方鉄道については鉄道ページにも写真あり)
右下:電鉄魚津駅前 なんだか今回、奥の細道歩きというよりも鉄ちゃん鉄子の旅のよう・・・





左上:海岸左手奥に陸地が見えるけど・・・
有名な蜃気楼ではなく、富山湾の西側ですよね、きっと・・・
右上:海岸北側    左:海岸近くの町並

左下:米騒動発祥の地 米騒動は魚津から始まったことを初めて知った。有名な米騒動は、大正7年(1918)魚津町で起きた汽船への米積み出し阻止が発端だったという。右の看板奥の建物が旧十二銀行の米倉庫だった。第一次世界大戦後、米商人の買占め売惜しみなどにより全国で米価が高騰、魚津の漁師の主婦らが北海道への米輸送船への積み出しをやめるよう要求、地元紙に大きく報道され水橋、滑川、泊、生地など次々と米騒動が発生、さらに全国に拡大してゆき内閣総辞職となり、日本初の本格的な政党内閣発足につながったと説明版にある。

右下:魚津の漁港のようす






左上:北アルプス方向を望む   右上:黒部四十八ヶ瀬はもともとこんな感じだったのだろう
写真にはとっていないが、北陸新幹線の高架がかなりできあがってきていた
左下:滑川の櫟原神社           右下:風情のある滑川の旧道





左上:橋場   右上:橋場にある重要文化財の家
藩政時代、ここから年貢米が積み出され物資の集散地として栄えた。明治期には中新川の行政の中心で繁華街が賑わっていたという。
左下:「電気通信省 郵政省 国有鉄道指定旅館」の札の掛かった旅館 明治から昭和中期頃、雪の中人力車に乗って繁華街の橋場近くの宿へと向かう山高帽にマント姿の旦那衆が目に浮かぶようだ・・・
右下:富山地方鉄道の滑川駅 駅ビル全体シャッターが閉まりスーパーにも破産の張り紙、衰退感が漂う





左上:東富山付近は工場が多い
右上:用水改修記念碑(神通川手前あたり) 黒部か魚津あたり以降、用水改修記念碑をよく見かけた
左下:公害で有名な神通川
右下:四方からまたもや遊歩道発見 ひょっとしてこれも線路跡地では?
地元の老人を見つけて尋ねると、この遊歩道には「昔JRが通っていた」という。いつ頃までか聞くと「さあ、数十年前だな、西は新港から東はニッショウ(?)まで」という。フェリーの話になると「今はフェリーない、橋ができたから」と言う。楽しみにしていたのに、残念。





海老江でまた爺さん発見、話しかけてみる。やはりこの遊歩道は「昔JRが通っていた、高岡から富山まで、ぐるっと」それがなくなったんですか、「新港ができたからね」え、新港、て人工的に掘ったものなんですか、「今は橋でつながった。そこに白い高い塔が見えるんだがそれが新橋だ。フェリーはあるよ。橋は人が歩けんから。県がやっていて無料で渡れるよ」良かった、車用のフェリーはなくなったが、人、自転車オートバイ用のフェリーは運航されているのだった。海老江あたりに駅があったか尋ねると、「駅はあったよ。すぐそこ、高い木のあるところが駅だった。今工事やっているところがホームだったところ」と左下写真の箇所を指して言う。いつ頃まで電車が通っていたのか聞くと「さあ、いつだったか大部前だ。数十年前」と言う。
 後で調べてみると、二人ともJRだと言ったが、実際は富山地方鉄道射水線で1980年(昭和55年)3月31日廃止だった。
左上:富山平野の田んぼ    右上:サギの群れ
左下:右手が駅の跡地   右下:線路跡地の遊歩道終了点 この左斜め前がフェリー乗り場





左上:県の運営するフェリー   右上:新港大橋
フェリーには乗り物ファンの男性も何人か同乗、この後の万葉線を含めしょっちゅう写真を撮っていた
左下:越の潟に着くと、万葉線が待っていた(富山の市電写真はこちら
右下:能町で降り、歩く





左上:市電(富山駅前)
右上:高岡の商店街 やはりシャッター通りだ・・・。高岡駅で下りた若者が、両親だか老夫婦に「前来たときはもっと発展した感じだったけど」と言っているのが聞こえた。本当に日本の地方は今後どうなるのだろう・・・



高岡−福岡  (富山県)

左下:高岡駅から北アルプスを望む
右下:高岡の町 福岡までは最初街道沿い、羽広町で国道8号に出てひたすら国道沿いに進む





左上:北側の丘陵地帯    右上:福岡駅前通り 右は古い醤油屋



歩行年:2012秋

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