奥 の 細 道 6 (番外 秋田編) |
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イザベラ・バードの道(青森編)の続きです。 (番外編) 秋田−鷹巣(秋田県) 秋田−鷹巣間を、菅江真澄や明治時代のイギリス人女性旅行家イザベラ・バードらと同じく、秋田から北上する方向で歩いてみた。 バードが旅行したときは秋田以北で何日も雨が降り続き、(台風か梅雨末期による)豪雨だったようで、米代川が氾濫し難儀した様子が書かれている。二ツ井近辺で激流を渡河した際には、何人か濁流に落ちるのを見た話も出てくる。また、米代川に注ぎ込む藤琴川や阿仁川などを大河のように表現しており、相当増水し川幅も広がっていたらしい。 鷹巣で聞いた話では、以前は腰くらいまで雪が積もったという。子供の頃は雪下ろしの雪もあって二階の窓から出入りする程だったが、最近はあまり積もらなくなった。鷹巣近辺の特産は特にないが、田圃の転作でしし唐を良く作っている、あと夏はきゅうりが多いとの話。森岳は「じゅんさいの町」、鶴形は「十割そばの町」となっていた。 家は二重窓が多く、やはり冬は寒いようだ。玄関も透明のビニール波板で囲った家を多く見かけた。 秋田駅前。この先に、久保田町の交差点がある。イザベラ・バードは、旅行記で秋田のことを久保田を呼んでいた。 左は三千刈付近、右は土崎港駅そばで見かけた、昔懐かしいゴミ箱 八郎潟の東側に広がる田圃。稲穂に黒い塊のついている田もあった。このあと、内陸では被害表札を見たので、あまり出来はよくないようだ。 八郎潟を望む。左は南端方向、右写真奥には干拓地に広がる田圃が見える。 網の中をのぞきこむ白鷺 鹿渡の町、旧道の羽州街道を行く。 立派な茅葺屋を見かける。南部の曲り屋のような”く”の字型をしていた。 この一帯は小さい潟(池)の多いところ(左)。 寒城野付近。なんとなく高原的で、戦後の開拓村のようなイメージのところだった。 バイパスが出来て、旧羽州街道が分断されてしまっていた。線路沿いの踏み切りがあったと思われるところも金網で塞がれている。しかし、線路両側の金網脇に人の通った跡がついている。(良いことではないが)電車もほとんど来ないようだし、線路を強行突破。 東能代付近 鶴形の集落の入り口で、不思議なものを見かけた。村に入って、犬の散歩に出てきたおじさんに聞いてみると、厄除けで「ショーキ様」だ、村の両側にある、という。「中国の鐘キ(ANSIで漢字が出ないが”九重”)様ですかね」と言うと「そういうのがあるのか?」と逆に聞かれた。 二ツ井の先、荷揚場付近から見た米代川(左)と、きみまろ坂から見た米代川(右)。バードは激流を渡ったあと、この上の小繋の集落でようやく宿をとった。女一人旅、服も簡易寝台もすべてずぶぬれ、ぬれた服のまま休む日が続いたというから、根性入っている。 現在の小繋の集落と、今泉への道 左:鷹巣駅前 右:鍬 ところで、森林ボランティアで東京の山の間伐や除伐、大刈(東京都は意外と山が多く、西と島嶼部の大半は山地森林)をやっている目で、秋田−鷹巣間や秋田内陸縦貫鉄道沿線の街道・国道沿いの杉林や桧林を見ると、植林しただけでその後間伐をまったくやっていない、枝打ちもやっていない、という森が目に付く。今すぐにでも間伐したくなるようなところも多い。 (番外編) 鷹巣−角館(秋田県) 鷹巣−角館間の秋田内陸縦貫鉄道沿線ウォークについては、ローカル線のページに移動しました 歩行年:2009 |
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