奥 の 細 道 9  新潟編1

 本当は鼠ヶ関から葡萄峠を越えたかったのですが、電車バス時刻の事情から逆順にしました。新潟からは、多くの潟湖を見ながら弥彦峠を越えて日本海側に出ます。


村上−葡萄峠−勝木−鼠ヶ関   (新潟県)

村上の街中は昨日散策したので、駅から四日市までバスで移動。小雨の中歩き始める。
左下:古渡路集落   右下:三面川(村上市方向を望む) 奥三面の山村生活の様子を描いた民映研のドキュメンタリーを思い出す





左上:鵜渡路集落 北海道にウトロという地名があるが、コトロ、ウトロはアイヌ語由来だろうか
右上:三面川から分岐した高根川沿いに広がる田んぼ
左下:”ここは新潟県の早稲田です”という看板   右下:変わったかかし





左上:塩野町    右上:これから向かう葡萄峠 左右は700m前後の山だが葡萄峠は260mが最高地点
左下:国道には歩道があり歩きやすいが、山に入ると雑草まみれだった   右下:葡萄トンネル

 5万分の1の地図によれば、葡萄トンネルの上を山道が通っている(長坂峠というらしい)。その入り口を探したが、見つからなかった。トンネルの手前すぐに林道があったが、1.5キロほど行くと行き止まりで歩く道もない。仕方なくトンネルを通過するが、このトンネル内には歩道がない!トンネル内でトラックがすれ違う場合、徐行してくれるが申し訳ない気分になる。何となく歩きを想定していないトンネルの雰囲気。





トンネルを抜けるとすぐ右に、葡萄峠越えの旧国道が通っており、峠越えをしたいのでこちらを行く。旧道は車も通らず日陰も多く歩きやすい。
左上:旧道から見た葡萄集落(旧宿場町) 山腹の黄緑はスキー場
右上:杉をロープで支えていた。雪害による倒木防止と思われる

旧道を歩きがてら、長坂峠の入り口を探してみた。山道が分岐している箇所があったが、電力会社の整備道で峠道とつながるかどうか不明。今はもうこの峠道は整備されていないとの情報もある。
いくつか小ピークを上り下りし、どこが葡萄峠の最高点かわからないまま、明神神社へ下りた
なお、新潟はアブが多いので、夏の山道歩きに虫除けは必須

左下:道端の馬頭観音    右下:明神神社



左:ロッククライミングできそうな明神岩

ここからは出羽街道の古道が整備されている
「芭蕉の歩いた出羽街道」と看板にあった



上:出羽街道大沢峠越の古道 古い石畳が残る
左:古道のようす
下:座頭落とし 説明書によれば、この崖から盲人をわざと突き落とした
座頭落としは六十里越街道にもある



左:全体に整備されているが、
雑草が茂り藪化した箇所もある
道ははっきりしているので迷うことはない



上:大沢集落側の入り口
左:どの家も薪を多く備蓄していた
下:棚田



左、下:大毎集落





左上:北中にあった道標 「芭蕉の宿泊地」とある集落。北中はかつての宿場町。山腹に「芭蕉記念公園」と見えるが、盛夏の真昼、暑い盛りで立ち寄る余裕はなかった。北中−勝木間は暑い中の国道歩きになるので(山道なし)バスで移動し、30分ほど休憩。
右上:勝木  碁石集落から府屋へ向かう海岸沿いの道をゆく。トンネルが2つあるが歩道あり。旧道のトンネルは柵で閉じられ通行禁止。



左上:鼠ヶ関を望む    右上:岩崎 このあたりは漁村だが、製材所も目に付き林業もさかんな様子だった
左下:浜沿いに一区画2畝ほどの個人菜園がいくつも並んでいた
右上:「右 新潟県 左 山形県 境標」の石柱 鼠ヶ関にて






左上:何かのノボリを利用したお地蔵さんの衣装 鼠ヶ関にて

右上:念珠関所跡 念珠関は勿来、白河と並ぶ奥羽三大関門の一つ。戦前内務省の建てた念珠関址の石柱が建つ

左:念珠関弁天島に沈む夕日




村上−新潟  (新潟県)

芭蕉は乙村に寄り、築地から船で新潟へ向かった
左下:乙村への道      右下:乙集落






左上:乙宝寺  重要文化財の三重塔がある

右上:きれいに庭木を作っている家が多い
垣はなく、さまざまな種類の木を盆栽のように刈り込んで植えている。弥彦周辺の家々でも見かけたが、なかなか風流だ

左:中条への道
奥に見える山の切れ込みは胎内川
新潟の山は総じて低山だ
中条周辺は工場団地があり、日立、クラレなどの大工場も多い。市内に近づくにつれ、ダンプカーの飛ばす道になる。芭蕉は築地から船に乗ったとの話なので、中条−新潟間はJRで移動(築地は時間の関係で今回寄れず)


新潟−弥彦−野積  (新潟県)

新潟は潟湖が多い。昭和2,30年代までは、潟湖に胸までつかりながら田植えをしていた。以前、新津出身の若い友人から「よくお婆さん達が集まったとき、昔は大雨が降ると田圃が流れるから杭に縛り付けた話をするんだよね。でも田圃が流れる、てどういう状況なのかよくわからなくて」と聞いたことがあった。その後、詳しい人から「浮稲栽培で、要するに水耕栽培のようなものだった」と聞いた。チチカカ湖の浮島ではないが、根が絡み合い島のようになったものを流されぬよう、杭に結わえたようだ。

新潟駅南に今も残る鳥屋野潟(写真下)



今は圃壌整備され、見事な水田が広がる   写真右下:角田山(右)と弥彦山(左)が見えてきた





左上:赤塚集落   右上:佐潟 ラムサール条約に登録されており、周囲を歩けるようになっている。結構観光客や散歩する人たちがいた。この上には御手洗潟もある
左下:このあたりは北国街道を行く    右上:弥彦駅付近から弥彦山を望む



芭蕉は旧北国街道を通り弥彦峠を越えたというので、峠から野積へ向かう
左下:観音寺あたりで見かけたお札 「火結大神 塞大神 天神地祇八百萬神鎮護村中安全災火消除之御祓」とある
右下:麓から旧北国街道を山に入る





左上:麓下組諏訪神社  この道は旧北国街道で、国土地理院の地図によれば黒線(幅員1.5m〜3m)の道が直進でスカイラインへ通じているはず。しかし、直線車道終了地点の先は、藪化が激しい。車道は右に「弥彦山登山道」として続く(新しい道路のようだ)。左も若干道があるが、車止めの先はさらに藪化が激しく道があるかどうかも不明。おそらく元の道は藪化した直進道と思われるが、倒木もあり時間がかかりそうなので登山道とある車道を行くことにした(いずれにせよスカイラインに通じているはず)。
車道でも山に入ると例によってアブが寄ってくる。虫除けスプレーをかけ、かなり戻ってスカイラインに合流。旧北国街道を歩きたかったので麓から回ったのだが、これなら観音寺からスカイラインを歩いたほうが早かったかもしれない。
右上:スカイラインをしばらく行くと、旧北国街道の出口と思われる箇所を見つけた。このへんは歩けそうに見えるが・・・



左上:スカイラインと分かれ、野積へ下る途中見かけたお地蔵さん  右上:野積集落




歩行年:2012夏

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