上柚木の丘上には、すぐ近くに聳える多摩ニュータウンのビル群を背景に、畑が広がっている。いつ見ても近未来のような不思議な光景だ。
御殿峠、七国峠の丘陵も、基本的に2011頃と変わっていない。七国峠北の宇津貫の開発は、7年前から既にかなり進んでいた。
2010,11頃の様子はこのあたり → 長沼 柚木 鑓水 鑓水 御殿峠 七国峠
多摩丘陵開発考その4 『ニュータウンの社会史』より抜粋
新住法では施工者は「土地を提供したため生活の基礎を失うことになる者」に対し、生活再建措置を行う義務があるとする。
しかし実際には「農業相談」「図書貸出」で代替農地の斡旋はなく、生活再建対策も、有益な便益があるのは商業への転業に対してのみだった。都・公社・公団は、農業を続けたい人には代替地を斡旋するとしたが、何の手もうたれないまま買収が始まったため、業を煮やした柚木の農家27戸が、自力で相模原市下丸沢に集団移転したケースもあった。
1965 全面買収反対運動起こる 1966 請願提出
1973-75 65%が買収されるが、酪農家だけ残り逆に結束強化、世論に訴え幅広い住民運動となる
1976 多摩ニュータウン地区の酪農と農業を守る会結成 中心となったのが鈴木昇氏(酪農家)、団地住民も参加
1983 都市計画変更 「19住区の取扱方針」で都知事が酪農集約地域を設定する
1983 都畜産委員会が「多摩ニュータウン酪農調査委員会」を組織し2年間調査、「都市の中に農地の存在を認める」
1987 ユギ・ファーマーズクラブ結成
1990年代 住民参加型となり、新住民をまじえ炭焼き、養蚕、稲作体験などイベント型になる
2002 鈴木昇氏亡くなる。会員数減少、農業公園構想も未完となる
(2017−18編6に続く その3はこちら)
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